岩木山神社
中門と拝殿
所在地青森県弘前市百沢字寺沢27
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度37分18.8秒 東経140度20分26.2秒 / 北緯40.621889度 東経140.340611度 / 40.621889; 140.340611
岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は、青森県弘前市百沢の岩木山の南東麓にある神社。別称、「お岩木さま」「お山」「奥日光」。旧社格は国幣小社で、津軽国一宮とされる。 昔から農漁業の守護神として、津軽の開拓の神として、地元の人々の祖霊の鎮まるところとして、親しまれてきた[1]。なお神社の参道は岩木山の登山道の1つとなっていることでも知られており、この神社の奥宮は岩木山の山頂付近にある。 社殿は、神仏習合の時代の名残りをとどめ、鎌倉時代以後の密教寺院の構造がみられる中に、桃山時代の様式を思わせる色とりどりの絵様彫刻がみられ、そうした外観が日光の東照宮を思わせるとして、「奥日光」と呼ばれるに至った[2]。 以上をまとめて岩木山大神(いわきやまおおかみ)と称する[3]。 創建については諸説があるが、最も古い説では、宝亀11年(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされる[1]。 延暦19年(800年)、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、その後、十腰内地区に下居宮(おりいのみや=麓宮、現在の厳鬼山神社)が建立され、山頂の社は奥宮とされた[1]。また、田村麻呂は、父の刈田麿も合祀したとされる。 寛治5年(1091年)、神宣により、下居宮を十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と称したのが現在の岩木山神社となっている[1]。岩木山の山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称して、付近の地頭や領主らに広く信仰された[1]。 天正17年(1589年)岩木山の噴火により、当時の百沢寺は全焼したが、慶長8年(1603年)津軽為信により再建が始められ、その後も信牧・信義・信政らの寄進により再建が行われた[4][5]。本殿、奥門、それに続く瑞垣は、下居宮と称され[5]、江戸時代には津軽藩の総鎮守とされた。 明治の神仏分離により寺院を廃止、津軽総鎮守・岩木山神社とされ、明治6年(1873年)、国幣小社に列格された[2]。 以下の社殿は、江戸時代初期から元禄時代にかけて代々の弘前藩主が造営・寄進したもので、楼門、拝殿、岩木山神社1括4棟(本殿、奥殿、瑞垣、中門)が重要文化財に指定されている。
概要
祭神
顕国魂神(うつしくにたまのかみ)-大国主神
多都比姫神(たつびひめのかみ)
宇賀能売神(うかのめのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)
歴史
境内
社務所
県重宝[注 1]。弘化2年(1845年)建立。入母屋造、茅葺屋根。藩主の参詣を想定した建物で、座敷のまわりに「土縁」があり、「御座の間」と呼ばれる上段を中心に、「御次」、「御膳立」などが並べられている。社務所として使用するため、若干の改造が行われている[6]。
本殿
元禄7年(1694年)四代藩主・信政により建立。三間社流造銅瓦葺