岩政大樹
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岩政 大樹

名前
愛称イワ、ダイキ
カタカナイワマサ ダイキ
ラテン文字IWAMASA Daiki
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1982-01-30) 1982年1月30日(42歳)
出身地山口県大島郡周防大島町
身長187cm
体重83kg
選手情報
ポジションDF(CB)
利き足右足

クラブ1
年クラブ出場(得点)
2004-2013 鹿島アントラーズ 290 (35)
2014 BECテロ・サーサナFC 37 (3)
2015-2016 ファジアーノ岡山 82 (10)
2017-2018 東京ユナイテッドFC 32 (6)
通算441 (54)
代表歴2
2003 日本 U-22
2008-2012 日本8 (0)
監督歴
2022-2023 鹿島アントラーズ
2024- ハノイFC

獲得メダル

ユニバーシアード
2003 大邱サッカー


1. 国内リーグ戦に限る。2018年9月23日現在。
2. 2013年12月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

岩政 大樹(いわまさ だいき、1982年1月30日 - )は、山口県大島郡周防大島町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表東京学芸大学(教育学部・数学専攻)卒業。現在はベトナムVリーグ1ハノイFCの監督を務める。

現役時代は鹿島アントラーズJ1リーグ3連覇に貢献。引退後は解説者、指導者として活動している。
来歴

瀬戸内海に浮かぶ屋代島(周防大島)の出身。大島町立沖浦小学校(現・周防大島町立沖浦小学校)2年生時[1]、3歳上の兄とサッカーボールで遊んでいたことをきっかけにサッカーを始めたという[2][3]。島内の大島スポーツ少年団、及び島外の周東FC(玖珂郡周東町、現岩国市)へは祖父母や両親が送り迎えしてもらって通う[2][3]。当時の指導者が「ディフェンスが安定しなければ試合には勝てない」との方針を持っており、運動神経がそこそこあり体の大きかったため当初からセンターバックのポジションを務めた[3]。また、島育ちであるが故に外部からの情報に乏しく、自分自身の頭でプレーを考える「思考力」が自然と身についた[3]。大島中学校ではサッカー部がなかったため陸上部に所属し、生徒会長も務め一方で地元の大島JSCでサッカーを続け、キャプテンとして県大会優勝に導いたという[2]。1997年に山口県立岩国高等学校に進学。3年時に第54回国民体育大会の山口県選抜メンバーに選ばれる[4]。本来は高校卒業時にサッカーを辞めるつもりだったが、試合直前に骨折して試合に出場できなかったことで悔いが残り、サッカーを続けることを決断する[2]

2000年、東京学芸大学(教育学部・数学専攻[4])に一般受験で合格。両親が共に教員で、自身も大学入学時はプロサッカー選手ではなく教員を目指しており、在学中に中学校、高等学校の数学の教員免許を取得。この際、教育実習に赴いた高校で後に妻となる女性と知り合ったという[5]。大学蹴球部では1年時に関東大学リーグ1部の新人王に輝き頭角を現した[4]。2年時には全日本大学選抜、3年時にはアテネオリンピック出場を目指すU-22日本代表に選出されるなど大学屈指のセンターバックとして名を馳せた[4]。2003年5月、FC東京に特別指定選手として加入[4]

2004年、大学を卒業し鹿島アントラーズに入団[1]ナビスコカップ予選リーグ・FC東京戦でプロデビューし、シーズン後半にはレギュラーに定着。2007年、5月19日の新潟戦から6月16日の広島戦にかけて、DFとしてはJタイとなる4試合連続得点を記録。12月にはJリーグアウォーズにて自身初のJリーグベストイレブンに選出された。2009年4月29日神戸戦にてJリーグ史上最速のリーグ戦クラブ通算1000得点を決める。

2008年、日本代表候補に初招集された。2009年9月、日本代表オランダ遠征メンバー(対オランダ戦、対ガーナ戦)に選出され日本代表に復帰する。ここでは出場機会がなかったものの、10月10日のキリンチャレンジカップスコットランド戦で代表デビュー。また、2010 FIFAワールドカップ日本代表にも選出された。

2013年は序盤こそ鹿島のレギュラーを確保し出場を続けていたが、J1第14節川崎戦では自身のオウンゴールを含め[6] 4失点を喫するなど精彩を欠き[7]、この試合を境に控えへと追いやられた[8]。同年限りで10年間に渡って在籍したクラブを退団[9]

2014年よりタイ・プレミアリーグBECテロ・サーサナFCに完全移籍[10]。10月27日に自身のブログにて退団を発表[11]

2015年よりJ2ファジアーノ岡山に完全移籍。初年度よりキャプテンに就任し、リーグ戦全42試合にフル出場を果たし、精神的支柱として活躍した。2016年シーズン、チームは昇格プレーオフ決勝まで進出するも破れ昇格を逃し、同シーズンを以て岡山を退団[12]

2017年より東京ユナイテッドFCに選手兼コーチとして加入した[13]。同時に東京大学運動会ア式蹴球部コーチにも就任している。

2018年10月22日、自身のブログにて同シーズン限りでの引退を発表した[14]

2021年1月7日、上武大学サッカー部監督と上武大学ビジネス情報学部スポーツ健康マネジメント学科准教授に就任したことを自身のブログで発表した[15]


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