岩手軽便鉄道
種類株式会社
本社所在地 日本
岩手県稗貫郡花巻町北萬丁目[1]
設立1911年(明治44年)10月12日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、索道[1]
代表者社長 三鬼鑑太郎[1]
資本金1,500,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1935年(昭和10年)現在[1]。
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岩手軽便鉄道
凡例
1936年国有化直前を示す
*: 国有化と同時に廃止
花巻電気鉛線
0.0花巻駅
3.7似内駅
6.0矢沢駅
8.4小山田駅
12.8土沢駅
16.0晴山駅
21.8岩根橋駅
25.2宮守駅
31.3柏木平駅
33.8鱒沢駅
36.5荒谷前駅
39.5岩手二日町駅
41.1綾織駅
46.1遠野駅
49.3青笹駅
54.4岩手上郷駅
56.6平倉駅
61.5足ケ瀬駅
[注 1]日ノ出駅 -1916年
65.4
0.0
仙人峠駅 -1950
岩手軽便鉄道(いわてけいべんてつどう)は、後のJR東日本釜石線に相当する路線を運行していた、かつて岩手県に存在した鉄道事業者である。 岩手県では、北上川沿いに日本鉄道線(現在の東北本線)が最初に開通した。これに対して三陸海岸側への鉄道の開通は大きく遅れることになり、長らく海岸と内陸の連絡は青森県や宮城県へ一旦鉄道で移動して海路を利用していた。1911年(明治44年)に当時の岩手県知事の笠井信一が、重要な製鉄所のある釜石への鉄道連絡を確立するため、県営鉄道の建設も視野に入れて調査を行わせたが、財政難から実現しなかった。しかしこれに呼応して民間で岩手軽便鉄道の構想が動き出すことになった。同年6月13日、岩手県稗貫郡花巻町(後の花巻市) - 上閉伊郡遠野町(後の遠野市) - 同郡上郷村沓掛(後の遠野市)間64.8kmの鉄道敷設の申請を行い、7月5日[2]に早くも免許が交付されると、10月12日[3]に資本金100万円で会社が設立された。本社は花巻町に置かれ、初代社長は金田一勝定(盛岡銀行頭取)[4]、筆頭株主は横山久太郎(釜石製鉄所長)。宮沢賢治の母方の祖父も株主として出資していた[5]。株主の大半は沿線住民であった。 1912年(大正元年)9月[6]に路線の建設工事が両端から開始された。花巻を出てしばらくのところで北上川を横断する北上川橋梁 (238m) は、当初は木製の予定であったが岩手県が3万円の補助金を支出して鉄製に改められた。その後も引き続き岩手県が補助金を投入して支援をしている。1913年(大正2年)10月25日[6]に最初の開業区間が花巻から土沢まで12.7kmが開通した[7]。残りの区間の建設工事もかなり進捗していたが、8月27日[6]に集中豪雨で完成した線路などが流失する被害を受けて、以後は部分開業を徐々に繰り返すことになった。
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