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岩手県競馬組合(いわてけんけいばくみあい)は、盛岡競馬場と水沢競馬場の2場で地方競馬を主催する団体で、岩手県、盛岡市および奥州市で構成される一部事務組合である。 岩手県での近代競馬は1884年に遡り、戦後は岩手県営、水沢市営、一関市営の各競馬を経て、1964年に設立。現在は岩手県、盛岡市、奥州市で構成され、盛岡競馬場と水沢競馬場の2場体制で行われており、一般的には「岩手競馬」と呼ばれている。 東北地方(新潟県も地方競馬では東北地方扱い)の地方競馬は、上山競馬場、新潟県競馬(新潟競馬場、三条競馬場)も存在したが、累積赤字が膨らみ、主催自治体の経営改善が後手に回った結果廃止され、現在は岩手競馬のみ開催されている。(2001年4月から2014年3月までは「みちのくレース・岩手競馬」という愛称が付いていた) 「岩手競馬中興の祖」と呼ばれた藤原正紀
概要
在宅投票システムは「オッズパーク」と「楽天競馬」、SPAT4が利用可能である。なお、左記の他に2009年1月12日までは岩手競馬独自の「R-CALL」(レーシングコール)があった。
岩手県は全域が豪雪地帯に指定されている気候条件から岩手競馬の開催は年度毎に4月から翌年1月上旬までと、3月の前半数日分(1開催分)は「通常開催」(平年、2か所で20回前後)が組まれ、3月中旬から下旬頃の年度末6日分(1開催分)には「特別開催」が組まれる[注 1]。翌年度の開催日程は2月頃に通常開催・特別開催の日程がまとめて発表され[1]、名称以外の違いは特にみられないが特別開催の開催日程が当初の発表より変更されるケースもある[2]。先述の通り積雪の影響を受けやすい1月中旬頃から3月中旬頃までは休止期間となっているが、休止期間の前後も比較的寒冷の時期であることから基本的には夏季・秋季に盛岡開催、春季・冬季に水沢開催[3]というように比較的降雪の少ない奥州市[4]に位置する水沢競馬場での開催が寒冷な時期に組まれているが、それでも積雪の影響による開催の中止が生じる場合もある[5]。
施設面・ファンサービスにおいては、2005年から夏季限定でスタートさせた薄暮競走を、盛岡では2018年[6]、水沢は2023年[7]に、ナイター競走にも対応した照明塔が設置されたことにより通年で薄暮開催が可能となった。 盛岡競馬場の移転にかかった費用(約410億円)が膨大なことや場外発売所の不採算化、開催業務委託費等のコスト削減に積極的でなかったことから、2003年度末には105億円の累積赤字を抱える経営難に陥る。2004年12月末にも資金繰りに窮して破綻する危機もあったが、県議会や関係金融機関への働きかけもあり継続が決まる。 しかし極めて厳しい経営状況は変わらず、2007年3月には総額330億円を融資する議案が県議会に提出されたが、15日夜の採決の結果、賛否が同数になり、地方自治法第116条の規定による議長の決定により議案は否決される。4月以降の開催資金の確保が不能となり、当時の増田寛也知事が岩手競馬廃止を表明したが[8]、19日の議会で提出された県の負担を20億円軽減する修正案に、15日の採決に反対だった議員の1人が賛成に回ったため、1票差で可決され、事実上存続が決まった。 競走馬についても、過去にはスイフトセイダイ、トウケイニセイ、グレートホープ、メイセイオペラ、トーホウエンペラーなど全国レベルの大競走で通用する馬を輩出していたが、2000年代半ば以後は目立った活躍馬に恵まれていない。この原因は売上低下などの岩手地区の競馬を取り巻く環境の悪化によるところと、有力な馬主の本業(競馬以外での事業)での不振や破産が大きいとされている(例:メイセイオペラの現役時代の馬主であった明正商事
売り上げ不振による存廃を巡る動き
2011年には東日本大震災発生により競馬場やテレトラックが被災、レースも実施できず、またも危機を迎えたが、全国的な復興支援ムードの高まりにより堅調な推移を見せ、現在に至っている。
管理施設
競馬場
盛岡競馬場(盛岡市)
水沢競馬場(奥州市)
場外馬券発売場
岩手県内
テレトラック宮古(宮古市)
テレトラック種市(洋野町)
テレトラック安代(八幡平市)
UMACCO盛岡大通り(盛岡市)
テレトラック釜石(釜石市)
テレトラック石鳥谷(花巻市)
岩手県外
ウインズ津軽(青森県田舎館村 旧・テレトラック津軽)
テレトラック十和田(青森県十和田市)
テレトラック横手(秋田県横手市)
テレトラック山本(秋田県三種町)
テレトラック三本木(宮城県大崎市)
東京競馬場(東京都府中市)
JRA勝馬投票券発売所
東京競馬場(非開催週は「パークウインズ」として)、並びに津軽、横手の各場外馬券発売所はウインズとして、盛岡(2021年7月3日以後。6月26日まではウィンズ)、種市(2018年3月17日以後。3月11日まではウインズ)、水沢(2021年3月13日以後。3月7日まではウィンズ)、三本木(2021年3月20日以後。3月14日まではウィンズ)はJ-PLACEとして運用されている[9]。
なおウインズとJ-PLACEの馬券の相互互換はないため、ウインズで購入したものはJ-PLACE、J-PLACEで購入したものはウィンズではそれぞれ払い戻しできない。
ウィンズとして運用されている各発売所は中央競馬当日のすべての開催場・全レースと前日発売対象の重賞競走を発売。
J-PLACE各会場は原則として、毎週土曜日と岩手競馬が冬季開催休止となる平年1月中旬?3月中旬の日曜日(他JRAが指定した平日や祝祭日 代替開催日除く)はウィンズ同様すべての開催場・全レースと前日発売重賞を、毎週日曜日(岩手競馬の冬季休止期間を除く)は全競馬場で行われるメインレースを含む3競走(原則第9-11競走、会場や日程により第10-12競走)+障害重賞競走のみを発売。
略史
1964年 岩手県、水沢市(当時)、一関市の3自治体で岩手県競馬組合発足。
1965年 水沢公園周辺にあった旧水沢競馬場が現在地に移転。盛岡市が組合の構成団体に加入。
1967年 一関市撤退(競馬法の改正により競馬場を有する市町村以外は競馬を開催できないことになったため)。
1968年 周辺の宮城、秋田の地方新聞にも広告を展開する。
1969年 特別競走に地名・スポンサーなどの名称が付くようになる。女性ジョッキー・高橋優子騎手がデビュー。盛岡のスタンド増築。馬伝染性貧血の集団発生が起き、一時競馬開催中断。
1970年 昭和天皇・香淳皇后が招待され第25回国民体育大会馬術競技(水沢)を観覧。
1971年 出馬表の前日発表を開始。水沢競馬場からのテレビ・ラジオ実況中継を開始。