岩手県立盛岡第一高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度42分48秒 東経141度8分32秒 / 北緯39.71333度 東経141.14222度 / 39.71333; 141.14222
岩手県立盛岡第一高等学校(いわてけんりつ もりおかだいいちこうとうがっこう, Iwate Prefectural Morioka Daiichi High School)は、岩手県盛岡市上田三丁目にある県立高等学校。
概要
校訓
「忠實自彊」(ちゅうじつじきょう)
「質實剛健」(しつじつごうけん)
教育目標
時代の先駆者として、社会に広く貢献する人間を育成する
高い知性と教養を身につけた人間を育成する
たくましい精神力と思いやりの心を兼ね備えた人間を育成する
強健な身体と豊かな感性をあわせ持った人間を育成する
重点目標
勉学に真摯に取り組む体制を確立する
文武両道の校風を確立する
自律性を持った自主的人間を育成する
基本的生活習慣を積極的に身につける気風を確立する
校歌
校歌は1908年(明治41年)に在校していた伊藤九万一によって作詞され、選曲は同じく当時在校していた佐香貞次郎によって行われた。旋律は軍艦行進曲と同じ。
男子寮(自彊寮)
同校には「自彊(じきょう)寮」と呼ばれる寄宿舎(男子用)があった(2020年3月をもって廃寮[1])。この寄宿舎は旧制盛岡中学校時代の名前を受け継いでいるものであり、盛岡中学の卒業生であった宮沢賢治も入寮していたことがある[2]。
同窓会
「白堊(はくあ)同窓会」と称している。
昼食方法
基本は弁当持参。2021年8月31日まで「学食」と呼ばれる食堂も設置されていた[3]。また購買でおにぎりやサンドイッチ、パン、お弁当、飲料、福田パンやデザートなども販売。
設置課程・学科
設置課程・学科 (2010年度募集まで)
全日制課程 2学科
普通科(文系1?3組、理系4?6組)
理数科(7組)
2007年度(平成19年度)から、1年次は全日制普通・理数科に改変(括り募集)。2年次から、普通科(6クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
設置課程・学科 (2011年度募集から)
全日制課程 2学科
普通科(文系1?3組、理系4?6組)
理数科(7組)
2年次から、普通科(6クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
沿革1908年の岩手県立盛岡中学校
1880年(明治13年)に創設された「公立岩手中學校」に端を発し、県内の高等学校の中では岩手県立盛岡農業高等学校に次ぐ歴史を有する[4]。2020年(令和2年)に創立140周年を迎えた。
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
1880年(明治13年)
5月13日 - 盛岡市内丸に「公立岩手中学校」が設立される。(8級4年制)
6月15日 - 開校。
9月9日 - 専修科(6級3年制)を設立。
1882年(明治15年)6月27日 - 初等中学科8級4年、高等中学科4級2年制とする。
1885年(明治18年)7月9日 - 盛岡市内丸に新校舎が完成。
1886年(明治19年)6月7日 -「岩手縣尋常中學校」と改称。修業年限を5ヶ年とする[5]。
1897年(明治30年)4月1日 - 尋常中学校の増設に伴い、「岩手縣盛岡尋常中學校」と改称。
1899年(明治32年)4月1日 - 「岩手縣盛岡中學校」と改称。
1901年(明治34年)3月30日 - 「岩手縣立盛岡中學校」と改称。
1902年(明治35年)
2月1日 - 補修科を設置。
5月13日 - 創立記念運動會を開催。
1908年(明治41年)5月13日 - 校歌と校旗を制定。
1917年(大正6年)8月14日 - 現在地に移転。
1925年(大正14年)10月 - 白堊同窓会(はくあ)を設立。
1942年(昭和17年)4月1日 - 補修科の募集を停止。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
旧制中学校の生徒募集を停止。
新制中学校を併設し(名称:岩手縣立盛岡中學校併設中學校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
併設中学校はあくまで暫定的に設置されたため、新たな生徒募集はおこなわれず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学4・5年生となる。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制盛岡中学校は廃止され、新制高等学校「岩手県立盛岡第一高等学校」(男子校)が発足。
旧制中学校卒業生(希望者)を新制高校3年として、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
併設中学校は新制高等学校に継承(名称:岩手県立盛岡第一高等学校併設中学校)され、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学へ入学した3年生のみとなる。
1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
新制高等学校(男女共学)
1949年(昭和24年)
4月1日
通信教育部を設置。
定時制不来方中心校、雫石分校、好摩(こうま)分校を設置。
高校三原則に基づく公立高校再編により、県立盛岡第二高等学校(女子校)と盛岡商業高等学校を統合し、総合制高等学校「岩手県立盛岡高等学校」が発足。
普通科と商業科を設置。
組織は統合されたものの、校舎は旧3校とも既存の校舎を使用。旧・第一高校の校舎は上田校舎、旧・第二高校の校舎は白梅校舎、旧・商業高校の校舎は商業部と呼ばれた。また、この時点では普通科男子が上田校舎を、普通科女子が白梅校舎を使用する「校舎による男女別学」の形態をとっており、まだ完全な男女共学ではなかった。
5月2日 - 定時制中心校を上田校舎内に収容。
1950年(昭和25年)4月1日 - 普通科において男女混合の学級を編成し、完全な男女共学を開始。
1951年(昭和26年)4月1日 - 統合を解消し、「岩手県立盛岡第一高等学校」(現校名/普通科/男女共学)に復称。
白梅校舎は岩手県立盛岡第二高等学校(普通科/男女共学)に復称。