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岩手県立一関第一高等学校・附属中学校
左が中学校、右が高校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度56分7.5秒 東経141度8分8.3秒 / 北緯38.935417度 東経141.135639度 / 38.935417; 141.135639座標: 北緯38度56分7.5秒 東経141度8分8.3秒 / 北緯38.935417度 東経141.135639度 / 38.935417; 141.135639
過去の名称岩手県一関尋常中学校
岩手県一関中学校
岩手県立一関中学校
岩手県立一関第一高等学校(男子校)
岩手県立一関高等学校(東校舎)
国公私立の別公立学校
設置者岩手県
学区両磐学区
校訓遂げずばやまじ、切磋琢磨、質実剛健、高志、不屈不撓
設立年月日1898年(明治31年)10月1日
共学・別学男女共学
中高一貫教育併設型
課程全日制課程・定時制課程
設置学科普通科・理数科
学校コードD103210000361 (高等学校)
C103220900069 (中学校)
高校コード03136E
中学校コード030269
所在地〒021-0894
岩手県一関市磐井町9番1号
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岩手県立一関第一高等学校・附属中学校(いわてけんりつ いちのせきだいいちこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、岩手県一関市磐井町に所在する公立中高一貫校。
略称として在校生・卒業生は「関高」(かんこう)と呼び、一関市内では「一高」(いちこう)、市外では「関一」(せきいち)もしくは「一関一高」(いちのせきいちこう)などと呼ぶ。メディアの略称表記としては「一関一」が一般的である。
概要
歴史
1898年(明治31年)に開校した「岩手県一関尋常中学校」(旧制中学校)を前身とする[1]。2009年(平成21年)に中学校を併設し、中高一貫教育を開始した。2018年(平成30年)に創立120周年を迎えた。
通学区域
東北本線沿いに公立普通科校が無いという事情もあり、隣県の宮城県北部から通学する生徒もいる。
設置課程・学科 (高等学校)
全日制課程 2学科
普通科 (1学年5学級、2.3学年4学級)
理数科 (2.3学年1学級)
生徒募集は普通科と理数科をまとめて行われている(くくり募集)定時制課程 1学科
普通科
校訓
切磋琢磨
質実剛健
不屈不撓
修文練武
高志
遂げずばやまじ
教育目標
社会の進歩・発展に積極的に寄与する姿勢とその資質・能力を備えた人間を育成する。
広く世界に目を向けて感性を磨き、創造性と進取の気性に富んだ人間を育成する。
思いやりのある豊かな心、高い知性を持ち、たくましく生きる人間を育成する。
進路
卒業生の進路は、大学への進学が多い。
沿革
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
1898年(明治31年)3月 - 「岩手県一関尋常中学校」として創立。(10月1日を開校記念日に制定。)
1899年(明治32年)2月 - 「岩手県一関中学校」と改称。
1901年(明治34年)6月 - 「岩手県立一関中学校」と改称(県の後に「立」が加えられる)。
1916年(大正7年) - 第2回全国中等学校優勝野球大会に出場。京都二中を相手に甲子園における歴史上初めてのスクイズを成功させ1勝をあげる。
1930年(昭和5年)5月 - 校舎を改築。
1947年(昭和22年)
4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
旧制中学校の生徒募集を停止。
新制中学校を併設(名称:岩手県立一関中学校併設中学校、以下・併設中学校)し、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
併設中学校はあくまで暫定的に設置された中学校で、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみであった。
旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍。
9月 - カスリーン台風の来襲により3m床上浸水。
1948年(昭和23年)
4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により旧制中学校は廃止され、新制高等学校「岩手県立一関第一高等学校」(男子校)が発足。
定時制課程を併設。また流、真滝、平泉の定時制3分校を設置。
旧制中学校卒業生(希望者)を新制高校3年生として、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生として編入。
併設中学校卒業生を新制高校1年生として収容。
併設中学校は継承され(名称:岩手県立一関第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に入学した3年生のみとなる。
9月 - アイオン台風来襲の大水害で校地に被害を受ける。
新制高等学校(男女共学)
1949年(昭和24年)
3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
4月1日 - 高校三原則に基づく公立高校再編。
岩手県立一関第二高等学校(女子校)・一関市立女子高等学校・組合立一関農業高等学校の3校を統合し、総合制高等学校「岩手県立一関高等学校」が発足。
男女共学を開始。
流分校が分離し、岩手県立花泉高等学校として独立。
定時制(昼間)舞川分校を設置。
1950年(昭和25年)4月1日 - 商業科を設置。定時制(昼間)厳美分校を設置。
1951年(昭和26年)
3月31日 - 定時制平泉分校を廃止。
4月1日 - 学校分離により「岩手県立一関第一高等学校」(男女共学)となる。岩手県立一関第二高等学校(男女共学)を分離。
1955年(昭和30年)4月 - 第27回選抜高等学校野球大会に、東北地区から初となる選抜大会出場を果たす。
1960年(昭和35年)6月 - 火災により校舎本館と第二校舎、付属建物等を焼失。
1961年(昭和36年)11月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての第一校舎が完成。
1963年(昭和38年)3月31日 - 定時制真滝分校を廃止。
1965年(昭和40年)3月31日 - 定時制厳美分校を廃止。
1968年(昭和43年)
3月31日 - 定時制舞川分校を廃止。
3月 - 第一体育館が落成。