岩崎弥次郎
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岩崎 弥次郎(いわさき やじろう、文化5年(1808年) - 明治6年(1873年7月28日)は、江戸時代末期(幕末)の土佐藩地下浪人。名は高勝。子に三菱財閥の創始者で初代総帥・岩崎弥太郎、2代目総帥・岩崎弥之助など。
生涯

文化5年(1808年)、 岩崎弥三郎の子として誕生。母は恒(小松氏)。祖父に岩崎弥次右衛門がいる。

岩崎家甲斐武田家の後裔と称するも、土佐藩の地下浪人であったため、生活はあまり豊かではなかった。また、朴訥で直情径行な人物として知られており、安政2年(1855年)に庄屋島田便右衛門と諍いを起こして負傷し、床に臥すほどの重傷を負った。そのため、弥次郎の免罪を訴えた長男・弥太郎も投獄された事によって一時期岩崎家は困窮を極めたといわれている。

明治6年(1873年)に、死亡した。墓は東京都豊島区染井霊園にある。
家族
岩崎美和
妻。
岩崎弥太郎
長男[1]三菱財閥の創業者。
岩崎弥之助
三男[1]。三菱財閥の2代目総帥。
辰(たつ)
天保3年(1832年[2] - 明治25年(1892年2月[2]長女[1]。母は美和。前名は琴。吉村直茂に嫁いだ。弥太郎らの姉にあたる。
佐喜(さき)
天保9年(1838年[2] - 没年不詳次女[1]。母は美和。名は佐畿・佐幾とも。藤岡正敏に嫁いだ。弥太郎の妹、弥之助の姉にあたる。荘田平五郎[注釈 1]志村源太郎[注釈 2]各務鎌吉[注釈 3]は正敏・佐喜夫妻の娘婿にあたり[2]荘田泰蔵は正敏・佐喜夫妻の孫にあたる。

他に夭折した次男(名前・生没年ともに不詳)がいる[1]

孫に岩崎久弥加藤春路岩崎豊弥幣原雅子岩崎小弥太岩崎俊弥岩崎輝弥など、曾孫に岩崎彦弥太岩崎隆弥沢田美喜加藤厚太郎木内信胤岩崎英二郎岩崎勝太郎荘田泰蔵など、玄孫に岩崎寛弥澤田久雄木内昭胤岩崎泰頴勝田紫津子岩崎俊男岩崎透岡部牧夫など、来孫に国広ジョージ木内孝胤などがいる。
参考文献

岩崎家傳記刊行会 編纂 『岩崎久彌傳 岩崎家傳記 五』
東京大学出版会 昭和36年(1961年12月2日発行

岩崎家傳記刊行会 編纂 『岩崎彌太郎傳(下)岩崎家傳記 二』 東京大学出版会、昭和42年(1967年11月20日発行

登場作品
漫画


猛き黄金の国』(作:本宮ひろ志集英社

テレビドラマ


龍馬伝』(2010年、NHK大河ドラマ 演:蟹江敬三

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 荘田の妻・田鶴は藤岡正敏・佐喜夫妻の長女[2]
^ 志村の妻・直子は藤岡正敏・佐喜夫妻の三女[2]
^ 各務の妻・繁尾は藤岡正敏・佐喜夫妻の四女[2]

出典^ a b c d e 『岩崎彌之助傳(上)』、10-11頁。
^ a b c d e f g 『岩崎彌太郎傳(下)』、622頁。


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