岩崎優
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岩崎 優阪神タイガース #13
2014年5月18日 阪神甲子園球場
基本情報
国籍 日本
出身地静岡県清水市(現:静岡市清水区
生年月日 (1991-06-19) 1991年6月19日(32歳)
身長
体重185 cm
91 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2013年 ドラフト6位
初出場2014年4月2日
年俸2億円(2024年)[1]
※2023年から4年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


静岡県立清水東高等学校

国士舘大学

阪神タイガース (2014 - )

国際大会
代表チーム 日本
五輪2021年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
日本
オリンピック
2020野球

岩崎 優(いわざき すぐる、1991年6月19日[2] - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身[3]プロ野球選手投手)。左投左打。阪神タイガース所属。

2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。
経歴
プロ入り前大学時代(2013年10月21日 明治神宮第二球場にて)

静岡市立清水第四中学校の軟式野球部で野球を始める(後述)[3]と、サッカーの名門で進学校の静岡県立清水東高等学校に進学したが、甲子園球場の全国大会とは縁がなかった[4][5]

国士舘大学への進学後は[6]、チームが東都大学野球の1部リーグに所属していた1年時からベンチ入りを果たすと、2部リーグに所属した2年時以降は救援投手として活躍した[7][8]。2部通算52試合10勝8敗、防御率1.75[9]

2013年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから6巡目で指名[4]。契約金3000万円、年俸660万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は67。
阪神時代

2014年は、二軍の春季安芸キャンプ中に実戦登板で好投を続けたことから、オープン戦の序盤以降に一軍に帯同した。レギュラーシーズンの開幕こそ二軍で迎えたが、4月2日の対中日ドラゴンズ戦(京セラドーム大阪)に先発投手として一軍公式戦に初めて登板すると、5回無失点で初勝利を挙げた[10]。阪神の新人投手が一軍公式戦での初登板で勝利投手になった事例は、2007年小嶋達也以来7年ぶり8人目であった[11]。5月7日の中日戦(ナゴヤドーム)では、同期入団・同学年の梅野隆太郎とのコンビで、阪神の一軍公式戦では2002年安藤優也 - 浅井良以来12年ぶりの「新人バッテリー」としてプレー[12]。再び梅野とバッテリーを組んだ7月5日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では、阪神の一軍公式戦としては1983年御子柴進 - 木戸克彦以来31年ぶりの「新人バッテリーによる勝利」を挙げた[13]。7月後半からおよそ1か月間の二軍調整を経験したが[14]、一軍公式戦では通算17試合に登板。先発で5勝4敗、防御率3.50を記録した。阪神にドラフト6位以下の順位で入団した新人投手が、一軍公式戦で5勝を挙げた事例は球団史上初めてであった[15]。チームのレギュラーシーズン2位で迎えたポストシーズンでは登板機会がなかったものの、ポストシーズン終了後の11月11日に阪神甲子園球場で開かれた「日本プロ野球80周年記念試合」では、阪神・巨人連合チームの3番手投手として登板(1回2失点で敗戦投手)。11月21日には、推定年俸1500万円(前年から840万円増)という条件で契約を更改した[16]

2015年は、レギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションに定着[17]。シーズン中盤まで先発を任されたものの、勝利投手の権利を得る目前で制球難や集中打に見舞われるなど調子が安定せず[18][19]5連敗を喫した。その影響で一軍と二軍の往復を繰り返したが、二軍調整中の7月12日には、ウエスタン・リーグの対オリックス・バファローズ戦(阪神鳴尾浜球場)で9回1失点の完投勝利を経験[20]。一軍公式戦でも、シーズン8試合目の先発であった8月9日の対DeNA戦(横浜)で初勝利を挙げると[21]、同月中に3連勝を記録した[22]。一軍公式戦全体では、15試合の先発登板で防御率3.51を記録[23]。ただし、9月以降に好投しながらも打線の援護に恵まれなかった試合が相次いだ[24][25]こともあって、3勝10敗と大きく負け越した[23]


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