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いわき こういち
岩城 滉一
生年月日 (1951-03-21) 1951年3月21日(73歳)
出生地 日本 東京都中野区
国籍 日本[1]
身長175 cm
血液型A型
職業俳優・歌手・タレント
ジャンル映画・テレビドラマ
活動期間1975年 -
配偶者結城アンナ
事務所COUZ
主な作品
『新幹線大爆破』(1975年)
『人間の証明』(1977年)
『前略おふくろ様』(1977年)
『北の国から』(1981年)
『抱きしめたい!』(1988年)
受賞
ヨコハマ映画祭
主演男優賞
1986年『南へ走れ、海の道を!』
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岩城 滉一(いわき こういち、朝: ??? ???, 1951年〈昭和26年〉3月21日 - )は、日本の俳優・歌手・タレント。東京都中野区出身。COUZ所属。 東京都中野区生まれ。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、帝京大学中退[2]。デビュー前は、舘ひろしとともに原宿・表参道を拠点にした硬派バイクチーム「クールス」で副団長を務めていた[3]。矢沢永吉がリーダーだったロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名となり、キャロルの解散コンサートのDVDは、当時の岩城がキャロルとの出会いを語る場面から始まる。 当時は音楽には全く興味がなく、それまで矢沢永吉も知らなかったと語っており[4]、クールスの選抜メンバーで結成された同名のロックバンド「クールス」が「紫のハイウェイ」でデビューするが、これには参加しなかった[4]。クールス時代にハーレーダビッドソンに乗った姿が『平凡パンチ』と『週刊プレイボーイ』に掲載され、その写真を見た東映に単独で「70万円やるから映画に出ないか」と誘われ、俳優として芸能界にデビューを果たす[5][4]。 デビュー作は1975年(昭和50年)の東映『新幹線大爆破』(監督・佐藤純弥)である。そして、同年の東映『爆発! 暴走族』(監督・石井輝男)では主演を務めた。 1977年(昭和52年)7月29日に覚せい剤取締法および銃砲刀剣類所持等取締法違反(拳銃所持)で逮捕された[3]。逮捕理由は、前年1976年(昭和51年)12月17日に杉並区の友人宅で住吉会系暴力団組員から買った覚醒剤0.02グラムを使用したため[3]。その暴力団組員と岩城は、安藤昇(元暴力団安藤組組長)が主宰する所属プロダクション「安藤企画」で知り合った[3]。また、その保釈中に改造ピストルを組員に預けたとして、銃刀法違反で再逮捕された。 取調べで、暴走族時代から付き合いのあったヤクザから、しばしば覚醒剤を入手していたと供述した[3]。この不祥事に伴い、ドラマ『あにき』(TBS)から降板となったが、判決から5ヶ月後に映画『俺達に墓はない』にて復帰[3]。その後の週刊誌のインタビューでは「シャブを打って何が悪い」と豪語し、反省するそぶりを見せなかった[3]。 しかし、その後はアニキと慕っていた松田優作らの支えで次第に更生し、1981年(昭和56年)からは倉本聰脚本のテレビドラマ『北の国から』(フジテレビ系)などの作品に出演[3]。妻の結城アンナとコマーシャルでも共演した。 2003年8月、世田谷区の自宅が競売にかけられ、1億6100万円で落札された[6]。 2004年、宇崎竜童と世良公則とのCM共演をきっかけにして、アコースティックパフォーマンストリオ「GENTLE3」を結成。全国各地でコンサートを行ったほか、ライヴアルバムもリリースした。 2014年に、日本で活動する芸能人で初となる宇宙旅行を行う予定[7]だったが、墜落事故多発の影響で無期限の延期になっている[8]。 2020年2月にクレー射撃場「神奈川大井射撃場」の会長に就任[9][10][11]。 元在日韓国人で民族名は李 光一(イ・グァンイル、???)[5]。本人はこのことを隠すことはなく、公言もしている。2017年4月5日、日本に帰化[1]。 妻はタレントの結城アンナ 喫煙者であり、1日60本は吸っていると公言している。 信仰は本門佛立宗の妙深寺。両親の墓もこの寺にある。
経歴
人物