「ピー子」はこの項目へ転送されています。1945年生まれのタレントでファッション評論家については「ピーコ」をご覧ください。
岩城 徳栄(いわき とくえ、1961年3月3日 - )は日本の元歌手、元タレントである。現在は芸能界を引退し結婚している。タレント時代も本名で活動した。158cm、46kg、石川県輪島市出身[1]。青蘭学院高等学校(のちの青稜高等学校)卒業[1]。タレント時代は新栄プロダクションに所属していた。目次 愛称はピー子。これは、赤ちゃんの頃「ピーピー」泣いてばかりいたので、近所の人からピー子と呼ばれていたことによる[2]。小学生になると「きかん気のピー子」と言われるようになり、地元・輪島では少し有名な存在だったという[2]。 実家は映画館を営む[2]。 #発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
1 人物
2 経歴
3 主な出演
3.1 テレビ
3.2 映画
3.3 CM
4 音楽
4.1 シングル
5 脚注
6 関連項目
人物
経歴
日本テレビ音楽学院で半年間学んだ[3]後、『スター誕生!』に出場。日本テレビ『スター誕生!』の第19回決戦大会で合格。同番組からの50組目の合格者である[3]。
1978年1月10日に「ダウン・タウン・ベイビー」の曲でキングレコードよりデビューする[4]。
歌手としてはヒットには恵まれなかったもののテレビ朝日『笑アップ歌謡大作戦』ではピー子の愛称で呼ばれ元祖バラドル的なおバカキャラで人気を得る。
1980年代前半まではテレビレギュラーを数本持ち、また女優として映画にも数本出演した。
レギュラー出演していたTBSテレビ『街かどテレビ11:00』の生放送中に突然「明日大きな地震が起こります」と発言。司会者の五木田武信から「そんなことは分からないでしょ」とたしなめられたが、岩城は「本当なんです!本当なんですよ!」と力説した。番組はそのままコマーシャルに入りコマーシャル明けに司会者が謝罪し、その横で岩城は半泣きのまま一緒に頭を下げた。そして岩城はこの日を最後に同番組を降板した。この出来事が岩城の芸能界引退に繋がったとも言及された。
芸能界引退後はメディアに姿を現すことはなく結婚しているという[5]。
主な出演
テレビ
笑アップ歌謡大作戦(1978年 - 1982年、テレビ朝日) - レギュラー出演
いじわるばあさん第4話「もう!いやんなっちゃうの巻」(1981年11月2日、フジテレビ) - 夢野覚子
三波伸介の凸凹大学校(1982年、テレビ東京)
独占!女の60分(1982年 - 1983年、テレビ朝日) - リポーター
街かどテレビ11:00(1983年 - 1984年、TBSテレビ) - レギュラー出演(前述の『大きな地震が起こる』発言の責任を取る形で降板)。
太陽にほえろ!PART2第2話「探偵物語」(1986年12月5日、日本テレビ) - 中野悦子
映画
野菊の墓(1981年、東映) - とめ
燃える勇者(1981年、東映) - クーコ
夏服のイヴ(1984年、東宝) - 飯田操
CM
荒川長太郎合名会社(のちのアラクス)『ノーシン』 ※出演時のセリフ『頭痛が痛いの?』が流行した[6]。
音楽
シングル
キングレコード
11978年
1月10日A面ダウン・タウン・ベイビー千家和也長戸大幸馬飼野俊一GK-154
B面乙女恋杉本真人小六禮次郎
21978年
6月A面あいつ千家和也馬飼野康二GK-200
B面なんとかしなくちゃ
31978年
6月A面ダイナマイト伊藤アキラ小田裕一郎高田弘GK-251
B面秋物語長戸大幸
ビクター
41981年
9月A面愚痴ともだち亜蘭知子長戸大幸SV-7147
B面ふられYOKOHAMA亜蘭知子長戸大幸
ポリスター
51983年
7月25日A面ふられ酒[7]佐々木勉桜庭伸幸7P-78
B面ふられ酒(ピーコ)
脚注^ a b 週刊テレビ番組(東京ポスト)1980年4月4日号 p.37
^ a b c 月刊 晨(あした)(ぎょうせい)1984年10月号 p.144
^ a b 平凡パンチ 1981年3月16日号『林家しん平の大看板絶頂トーク』(p.68-71)より。
^ 『タレント名鑑』(連合通信社、音楽専科社)1980年版 閲覧。
^ 『新潮45』(新潮社)2007年4月1日号「芸能界の黒い履歴書」73頁 閲覧。
^ 『オリジナルコンフィデンス年鑑』(1979年版、1980年版、1984年版) 閲覧。
^ ピーコ&アンクル・ベン名義
関連項目
スター誕生
笑アップ歌謡大作戦
更新日時:2020年8月17日(月)04:28
取得日時:2021/08/29 06:28