この項目では、東京都の私立高校について説明しています。2001年まで愛知県立岩倉高等学校の名称だった学校については「愛知県立岩倉総合高等学校」をご覧ください。
岩倉高等学校(いわくらこうとうがっこう)は、東京都台東区上野七丁目にある私立高等学校。当初は旧制中等工業学校である岩倉鉄道学校として設立され、「岩倉」の校名は鉄道創設に貢献した岩倉具視に因んだものである[1]。
上野駅入谷口の目の前に位置し、運輸科・普通科を置く。かつては機械科と商業科も置いていた。鉄道の各コースに関しては、全国でも数少ない鉄道関係の教育を行う日本最古の鉄道学校であり、卒業した多くの生徒が鉄道業界へ進んでいる。また、過去に野球部が甲子園へ1984年春の選抜と1997年夏の二回出場し、1984年春の選抜においては全国優勝を果たしている。近年[いつ?]では吹奏楽部・放送部が頭角を現し、吹奏楽部は各大会に於いて金賞受賞、放送部は全国大会への進出など、高い成果を挙げている。上野の本校舎のほか、西東京市新町に野球・サッカーを中心としたグランドを設置している[2][注 1]。
学校の校章は岩倉家の家紋「笹竜胆」と鉄道のレールを組み合わせたデザインである。 第一条 本校は工業学校規定に基づき鉄道事業に従事すべき職員を養成するを以て目的とす—私立岩倉鉄道学校 学則(明治38年) [4]
沿革
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1897年(明治30年)6月5日 - 元日本鉄道の株主らによる献金を元に[1]、私立鉄道学校として神田錦町に開校。
1901年(明治34年)8月5日 - 現在地に移転(東京市下谷区上車町57番地[1])。
1903年(明治36年) 12月21日- 鉄道界の恩人、岩倉具視の遺徳に因んで、岩倉の二文字を校名に冠し、私立岩倉鉄道学校とする[1]。
1905年(明治38年) - 文部省より工業学校規定に基づく開校認可を取得(明治38年文部省告示140号)[5]
1932年(昭和7年) - 泰東商業学校を姉妹校として創立。
1944年(昭和19年) - 機械科に電気科を吸収して機関科とし、土木科と業務科を合わせて運輸科とする。
戦後
1946年(昭和21年)6月6日 - 学園興隆の父、校長の山田英太郎(金東と号す)逝去。
1948年(昭和23年)3月11日 - 岩倉鉄道学校と泰東商業学校を統合し、現在の名称岩倉高等学校とし、機関科、運輸科、商業科、普通科の4科を置く。
1955年(昭和30年) - 産業教育の必要性増加により、普通科募集中止。
1959年(昭和34年) - 保谷市に運動場と合宿所を設置、西館新校舎完成。
1961年(昭和36年) - 工場施設を拡大して従来の機関科を機械科と改める。
1973年(昭和48年) - 普通科募集再開。
1977年(昭和52年) - 創立80周年記念事業として南館新校舎及び体育館完成。
1979年(昭和54年) - 南館校舎増設。機械工場施設の拡張並びに商業科関係の産業教育施設、設備を充実。
1984年(昭和59年) - パソコン教室設置、「情報処理教育」開講。第56回選抜高等学校野球大会初出場初優勝。
1985年(昭和60年) - 北館校舎増設 西東京市にある運動場に修練道場施設完成。
1987年(昭和62年) - 創立90周年記念事業として5階建て東館新校舎完成。
1993年(平成5年) - 東館校舎3階に「教育用電車シミュレーション室」(205系)を設置。この装置を利用した「電車運転実習」を行なう。