岩倉博文
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日本政治家岩倉 博文いわくら ひろふみ
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1950-01-15) 1950年1月15日(74歳)
出生地 日本 北海道苫小牧市
出身校立教大学経済学部
アメリカ合衆国アンカレッジコミュニティ・カレッジ
前職岩倉建設従業員
所属政党(自由民主党→)
無所属
サイン
第6代 北海道苫小牧市長
当選回数5回
在任期間2006年7月10日 - 現職
衆議院議員
選挙区比例北海道ブロック北海道9区
当選回数1回
在任期間2000年6月25日 - 2003年10月10日
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岩倉 博文(いわくら ひろふみ、1950年1月15日 - )は、日本政治家北海道苫小牧市長(5期)。元衆議院議員(1期)。
来歴

北海道苫小牧市生まれ。イワクラ創業者・岩倉巻次は祖父[1]。宗教は天理教[2]。中学卒業後上京し、立教高等学校[3]立教大学経済学部経営学科卒業、アメリカ合衆国アンカレッジコミュニティ・カレッジ基礎経済学講座修了。日本に帰国後、岩倉建設の社員・役員を経て、1989年日本青年会議所副会頭に就任した。

2000年第42回衆議院議員総選挙北海道9区から自由民主党公認で立候補。民主党代表(当時)の鳩山由紀夫小選挙区では惜敗したが、重複立候補していた比例北海道ブロックで復活し、初当選した(この選挙では岩倉が鳩山を猛追し、鳩山は野党第一党の党首でありながら全国の300選挙区の中で最も当確が出るのが遅かった)。

2003年第43回2005年第44回衆議院議員総選挙では鳩山に敗れ、比例復活も叶わなかった。衆議院議員在職中は橋本派に所属していた。

2006年苫小牧市長の櫻井忠が飲食店経営者の女性に猥褻な行為を行った疑惑が発覚し辞職。後任を選出する苫小牧市長選挙に無所属(自民党・新党大地推薦)で立候補し、元苫小牧市長の鳥越忠行を破り初当選した。

2010年2014年2018年2022年の苫小牧市長選挙において、いずれも再選する。

2023年11月7日夕方、苫小牧港PRキャンペーンのために大韓民国へ出張した際、仁川国際空港入国審査待機中に意識を失って倒れ、現地の大学病院へ救急搬送となり、ICUに収容された[4]。空港で救命処置にあたった韓国政府職員によれば、心肺蘇生法を行っても呼吸が回復せず、緊迫した状況であったという[5]。苫小牧市は翌8日に記者会見を行い、市長の容体について心室細動による不整脈を起こした可能性があり、意識は回復しておらず、気管挿管された状態で治療を受けていることを明らかにした。あわせて翌9日付で市長職務代理者として木村淳副市長を充てる事となった[6]。その後11日までに会話ができる状態まで回復[7]。17日に日本に帰国し、そのまま札幌市内の病院に入院した[8]。その後12月1日に胸に除細動器を埋め込む手術を受け、同月8日に退院した[9]。その後、2024年2月から平日にリハビリを兼ねて登庁し、2時間ほど公務を行っていたが、同月14日から公務に復帰している[10]
市長選の結果
2006年苫小牧市長選挙


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