岩倉 具栄
(いわくら ともひで)岩倉具栄の写真
人物情報
生誕1904年(明治37年)2月8日
東京府東京市上目黒西郷従徳邸
死没 (1978-11-02) 1978年11月2日(74歳没)
東京都千代田区霞が関3丁目2番5号(霞が関ビル内)
国籍 日本
出身校東京帝国大学
配偶者岩倉 良子(伯爵藤堂高紹の長女)
両親父:岩倉具張(第17代当主)
母:岩倉 桜子(西郷従道の長女)
子供長男:岩倉具忠(第19代当主)
次男:岩倉具房
岩倉 具栄(いわくら ともひで、1904年〈明治37年〉2月8日 - 1978年〈昭和53年〉11月2日)は、日本の英文学者、華族、政治家。東京府出身。貴族院議員。法政大学教授。D・H・ローレンスの研究者。岩倉家第18代当主。勲等は勲三等。その他の栄典は藍綬褒章。爵位は公爵(華族制度廃止まで)。
生涯家族とともに(1949年(昭和24年))
公爵岩倉具張の長男として、東京府東京市上目黒の西郷従徳邸に誕生。当時、父は東京帝国大学の学生だった。父方の曾祖父は岩倉具視で母方の祖父は西郷従道。東京府東京市麹町区に育つ。
父具張が投機に失敗して多額の負債を作ったため、責任を取って官職を辞し、1914年(大正3年)8月29日に隠居[1]。このため、1914年(大正3年)9月5日、学習院初等科5年在学中の具栄が公爵の爵位を継承[2]。クリスチャンである母の感化により洗礼を受け、キリスト教の影響を受けて育つ。東京府立第一中学校在学中、小川未明や室生犀星、久米正雄、谷崎潤一郎、国木田独歩、ツルゲーネフなどを愛読。第一高等学校文科甲類を経て、1924年(大正13年)、東京帝国大学法学部政治学科入学。大学の入試対策で研究社の英文学叢書、なかんずくウォルター・ペイターの『ルネッサンス』を読んだことがきっかけで英文学に傾倒。大学在学中は法科の学問が肌に合わず、ソローやサッカレーなど文学書を愛読。文科に進まなかったことを後悔した。1927年(昭和2年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業。具栄の志は英文学研究にあったが、家庭の事情によって内務省に入り、社会局労働課の無給嘱託となる。同年秋、高等文官試験を受験したが1点足らずで不合格。1928年(昭和3年)11月から帝室林野局の属官となる。この頃、小説家を志して谷崎精二への入門を考えた。
1933年(昭和8年)3月29日、妹靖子が左翼活動による治安維持法違反の容疑(『赤化華族事件』)で逮捕投獄され、同年7月1日に起訴。このため、同年7月13日、具栄は責任を取って帝室林野局を辞職。以後は英文学翻訳の道に進む。年末の12月18日、靖子は保釈されたが、21日に剃刀で頸動脈を切って自殺を遂げた。