音楽評論家の岩井宏之とは異なります。
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出典検索?: "岩井浩之"
いわい ひろゆき
岩井 浩之
生誕 (1969-01-11) 1969年1月11日(55歳)
東京都荒川区
住居東京都荒川区
国籍 日本
別名MW岩井
出身校法政大学
職業編集者
活動期間1987年 -
身長168 cm
肩書きゲーメストEX 2代目編集長
任期1995年 - 1997年
前任者大野純司
配偶者あり
子供あり
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岩井 浩之(いわい ひろゆき、1969年 - )は、日本の編集者。東京都出身。 中学時代に購入したパソコン「ソードm5」の同志を集めるため、ユーザーズクラブ「HARD CORE」を発足。BASICとZ80アセンブリ言語を独学し、アーケードゲームの模倣ゲームを量産。会員に無料配布していた。 愛読していたゲーム雑誌「コンプティーク」へ投稿していたセガSG-1000用『ピットフォールII』の攻略記事が担当編集の目に留まり、高校2年生(16歳)で攻略本書籍『セガ(秘)ハイテク集』のライターに抜擢された[1]。 日本電子専門学校では情報処理学科へ進み、COBOLとC言語を学ぶ。在学中に時給アルバイトとして、「MSX・FAN」編集アシスタントになり、後に人事異動でファミリーコンピュータMagazine編集アシスタントとなる。 同校卒業後はゲーム雑誌のアルバイトを退職し、ソフトハウスへ就職。プログラマとしてPL/IとCOBOLで主に銀行系システムのプログラマをしていたが、1年半ほどで退職。古巣の徳間書店インターメディアへ戻り、PC Engine FANとメガドライブFAN、両誌の編集デスクを任された。しかし、週に1?2度しか帰宅できないほどに多忙を極め、忙しさから逃れるために復帰後1年程度で離職した。 その後、徳間書店インターメディアの仲間数名と共にフリーランスで編集プロダクション「編集スタジオ岩井」を設立。『ファミ通』の新作ゲーム紹介記事を担当したほか、『テレビブロス』巻頭の特集記事、『ビッグコミックスペリオール』欄外の豆知識を連載。そのほか、『すっぴん』『投稿写真』といったアダルト雑誌に掲載するゲーム紹介記事などにも仕事の幅を広げる。しかし、仕事の受注量をコントロールできずにスケジュールが破綻。「自分の仕事量をマネジメントしてもらう」ため、かつてゲーメストムックにて『ストリートファイターII'』で全キャラのCPU攻略記事を執筆した縁があった新声社へ、編集者として就職。隔週刊「ゲーメスト」の編集者となる。 後に「ゲーメストEX」および「ニンテンドードリーム」の両誌では雑誌の編集長を務めた[2]。 新声社倒産後、毎日コミュニケーションズへ転職するまでの期間にフリーランスとして『ファミ通Dreamcast
来歴
2001年6月1日、安定した収入を求めてマイナビへ転職し、2021年3月末まで20年勤務した。2021年4月から法政大学経営学部経営学科へ編入。大学生として学び直ししながら「ゲームとガンダムとギャラのいい仕事だけ受ける」スタンスでフリーランスとしても活動[3][4]。2023年3月31日、多忙さを理由に法政大学を3年生のまま休学。 ゲーメストEX参加時に、上司から「ゲーメストは奥付に載せる名前はペンネームしか許さない」と言われ、専門学校時代にふざけて決めたペンネーム「MW岩井」を誌上で名乗り始める。「MW」とは「Muscle Woodpecker」の略。特に意味はないが、「可笑しいペンネームを考えたら、MWという字面が気に入った」とのこと。 ●●+本名というペンネームは、中学時代に熱中していたプロレスラーのリングネームに倣った。 競合出版社だったメディアワークスの略称も「MW」であるため、同社の関係者と誤解されたこともある。『モンスターハンター』好きのため「MH岩井」と間違えられることも多かった。
ペンネーム
代表作
雑誌
編集・執筆
MSX・FAN(1987)徳間書店[5]
ファミリーコンピュータMagazine(1987-1988)徳間書店 ※ウソ技担当[6][7][8]
PC Engine FAN(1990-1991)徳間書店
メガドライブFAN(1990-1991)徳間書店
日刊流通ジャーナル(1993-1994)流通ジャーナル[9]
月刊流通ジャーナル(1993-1994)流通ジャーナル[10]
日刊ドラッグストア速報(1993-1994)流通ジャーナル[11]
ゲーメスト(1994-1995)新声社
ゲーメストEX(1995-1997)新声社
ゲームナビ(1997)新声社
X-MARKET(1997)新声社
Hi-Ge(1999)英知出版
Agostoデザイングラフィックス(2000-2001)アゴスト[12]
Web Designing
ニンテンドードリーム(2007-2010)毎日コミュニケーションズ
執筆
ハイスコア(1987-1988)ハイスコア・メディアワークス
ポプコム(1988)小学館
ファミ通(1991-1993)アスキー