岡野_(横浜市)
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岡野
町丁
岡野公園
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度27分44秒 東経139度36分49秒 / 北緯35.46225度 東経139.61353度 / 35.46225; 139.61353
日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区西区

人口情報(2023年(令和5年)9月30日現在[1]
 人口4,013 人
 世帯数2,371 世帯

面積[2]
 0.25 km²
人口密度16052 人/km²
設置日1965年昭和40年)7月1日
郵便番号220-0073[3]
市外局番045(横浜MA[4]
ナンバープレート横浜
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岡野町
町丁
日本
都道府県 神奈川県
市町村 横浜市
西区
町名制定1901年明治22年)4月1日
町名廃止1965年(昭和40年)7月1日

岡野(おかの)は、神奈川県横浜市西区町名[5]。現行行政地名は岡野一丁目および岡野二丁目で、住居表示は実施済み区域[6]
地理歌川広重東海道五十三次』「神奈川 台之景」(再刻版)より。青木橋付近から横浜駅西口方面。小舟のある辺りが、現在の岡野。

西区の西部に位置し、北東は県道横浜生田線新横浜通り)を挟み南幸、南東は帷子川を挟み西平沼町に接する。新田間川を挟んで南西は南浅間町、西から北西にかけて浅間町に接する。帷子川には上流側から沼野橋、平岡橋、元平沼橋および平沼橋、新田間川には烏帽子田橋、藤江橋、霜下橋、浅岡橋、岡野橋、新田間橋が架かる[5]。平岡橋と岡野橋を結ぶ通りの東が一丁目、西が二丁目となる。一丁目には神奈川県立横浜平沼高等学校と、その北東に横浜市西公会堂がある。新横浜通り沿いは横浜駅西口の繁華街に近く、商店や飲食店が多い。二丁目中央部には区内で唯一の野球場やプールなどを備えた岡野公園があり[7]、その北側に岡野福祉会館、横浜市立岡野中学校、西側には横浜川崎治水事務所などが入る横浜西合同庁舎[8]や、古河電気工業横浜事業所、研究所等がある。研究所の敷地の一部には2011年11月30日サミットストアが開店[9][10]。同社グループの古河電工パワーシステムズの事業所は、2016年11月に海老名市に移転した[11]

平岡橋を渡った先の西平沼町には相鉄本線平沼橋駅があり、朝夕は平沼高校の通学路としてにぎわう[12]。横浜駅西口から西公会堂付近までは、徒歩で10分ほどである[13]。新横浜通り上の岡野町バス停からは、横浜駅西口から三ツ沢や洪福寺方面、保土ケ谷車庫前から市庁前本牧を経由して根岸駅を結ぶ路線などが運行されている。
面積

面積は以下の通りである[2]

町丁面積 (km2)
岡野一丁目0.103
岡野二丁目0.147
計0.250

地価

住宅地の地価は、2023年1月1日の公示地価によれば、岡野2-17-15の地点で46万6000円/m2となっている[14]
歴史江戸時代(1860年頃)の横浜道新田間橋付近
右側の田んぼが岡野新田

かつては帷子川河口の湿地帯で、現在の町域のうち南西端の一部は1786年天明6年)に「藤江茂右衛門」により開拓された藤江新田、残る大半の部分はその後開拓された岡野新田が元になっている。程ヶ谷宿の金物商であった岡野勘四郎良親は、藤江新田を引き継ぐ形で1833年天保4年)より当地の新田開拓を始める。しかしその3年後、良親は41歳で死去。良親の息子で、当時6歳であった良哉が事業を受け継ぎ1850年嘉永3年)に完成させた。岡野新田は、岡野の屋号が「鍋屋」であったことから鍋屋新田とも呼ばれた[15]1859年安政6年)の横浜港開港の際には、新田の縁に横浜道(現在の新横浜通りに相当)が開通した。1873年明治6年)、街並みの整った所に千歳町、新玉町、岡野町を新設。1889年4月1日には町村制の施行により、神戸町、岩間町、帷子町、旧保土ケ谷町と合併して橘樹郡保土ケ谷町が成立、当地は保土ケ谷町大字岡野新田となる[16]1896年には、良哉の長男の岡野欣之助により神奈川県農事試験場が誘致され、さらに1900年には欣之助は神奈川県立高等女学校に土地と寄宿舎を寄付した[15]。県農事試験場は1908年に保土ケ谷町に移転。その後の再編により、現在は平塚市にある農業技術センターが後継機関となり[17]、岡野町の農事試験場跡地は岡野公園となっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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