岡野加穂留
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岡野 加穂留(おかの かおる、1929年6月22日 - 2006年6月7日 )は、日本の政治学者明治大学名誉教授。第11代明治大学学長。専門は、比較政治学、政治制度論、比較憲法学。郵便局ファンの会 会長。日本臨床政治研究所初代所長・日本臨床政治学会初代理事長。

日本におけるデモクラシー研究の第一人者。研究者仲間に早稲田大学名誉教授の内田満慶應義塾大学名誉教授の堀江湛らがいる。
経歴

東京府東京市京橋区佃島(現在の東京都中央区)生まれ。

東京都立第三商業学校卒業。

1947年、明治大学政治経済学部政治学科入学。同大雄弁部入部。ラグビーでも活動歴があり、同年の東京文理科大学戦にフランカー(7番)のポジションで出場している[1]

1952年、同政治経済学部政治学科首席卒業。在学当時の体育教師は、ラグビー部監督・明治大学政治経済学部教授の北島忠治である。

1955年、同大学大学院政治経済学研究科政治学専攻修士課程修了。明治大学名誉教授・弓家七郎のもとで比較憲法および比較政治を学ぶ。

1963年、同助教授。同年スウェーデンに留学(北欧理事会・スウェーデン労働者教育協会招聘)。以後、スウェーデン・ノルウェーデンマーク福祉国家の政治制度比較の研究に携わる。

1965年、明治大学政治経済学部教授。

1966年、『アンペラ内閣』成立のなか、スカルノ大統領、スハルト大統領と懇談する。

1970年、選挙浄化委員会中央委員座長。

1971年、スウェーデン社会研究所理事。

1974年、アメリカ、ジョンズ・ホプキンス大学国際研究大学院客員教授およびワシントン外交調査センター特別研究員。

1976年、内閣総理大臣諮問機関委員。

1976年、早稲田大学政治経済学部東京女子大学文理学部講師(?1986)。

1983年、社会経済国民会議理事。1985年、明治大学ラグビー部長に就任。

1988年、明治大学政治経済学部長。

1989年、政治改革フォーラム代表世話人。

1991年、内閣総理大臣諮問機関委員。

1992年、第11代明治大学学長・理事。

1993年、文部省大学設置・学校法人審議会委員、大学基準協会副会長・理事。

1996年、東京経済大学理事・評議員。

1997年、スウェーデン国立ストックホルム大学SIPAS大学院客員教授、スウェーデン国立リンショッピン大学法学部客員教授アジア欧州会合(ASEM)日本代表。

2000年、明治大学名誉教授。

2006年、がん性脳髄膜炎のため死去。享年76。

日本臨床政治学会初代理事長、日本中国学術交流機構代表理事、財団法人社会経済生産性本部評議員、国際教育交流協会理事、American Friends Service Committee終身会員を務めた。また、『21世紀委員会』で元ソ連大統領ゴルバチョフと共同研究を行っていた。

さらに、 ⇒郵便局ファンの会 会長として、自由民主党民主党国会議員を中心とした反小泉勢力の結集を呼びかけ、保守的政治活動の最前線にいた。

門下生には、大六野耕作・明治大学学長、櫻井陽二・明治大学教授、小池治横浜国立大学教授、藤本一美専修大学教授、中谷義和立命館大学教授、國廣敏文・立命館大学教授、渡辺俊彦中央大学教授などがいる。

民主主義という精神論を科学としての政治学から排除し、比較政治制度研究の過程の中でデモクラシー概念を洗練化させ、政治的多数者による統治方式と捉える点で、保守派論客に近い。他方では、人権・平等・平和など政治的理念をうたう日本国憲法を固持する姿勢は、政治家共通の心情になければならないとの一貫した姿勢を表明しており、改革派論客に近い。また、スウェーデンの福祉国家・社会民主主義政策を評価しているという点は、リベラルということもできる。

人脈としては、圧倒的に自民党首脳に多く、最近では後藤田正晴との共著出版、小渕恵三三木武夫内閣のブレーンなどの役割を担った。革新派では、村山富市内閣のブレーン、福島瑞穂社民党党首への応援と交流などと、政治的イデオロギーにとらわれない政治活動をも行っている。最近は郵便局ファンの会会長を務め、小泉純一郎アメリカの手先であるとして保守派の政治家・論客とともに批判した。

ちなみに彼の使用言語は、日本語英語ドイツ語フランス語スウェーデン語の4カ国語である。
岡野政治学の特色

岡野は比較的若くして教授になったこともあり、その学問的環境は恵まれていた。彼の政治学を一言で言うならば「臨床政治学」ということになろう。現場の政治を直に客観的に観察し、現代デモクラシーという基準によってその状態を評価するというものである。ただ、彼の臨床政治学は、人物の罪を問うたり政党の悪を暴くといった革新政治学者が行う非科学的政治論を展開するものではない。岡野は、政治を臨床として考察し、その状態の病理の根拠を政治制度の歪みに求め、ひいてはその制度の成熟度を日本国民知的水準としてみなす点で、政治家の質よりも国民の質を問題とする政治学を考究した。

彼によれば、政治家は議会制デモクラシーにおける正当な過程を経て選ばれた者であり、その政治家の権力の由来は国民に在るとする。この主権在民の思想は、岡野政治学を語る上で欠かせない。岡野の大学院生時代、憲法学宮沢俊義に学んだ思想であり今に至るまで変節していない。国民の主権在民を前提とする以上、国民の質(民度)が低ければ政治家の質も低いとされる。サミュエル・ハンチントンの「成長の暗喩」を例にとり、脱工業化社会において国民に求められるべき認知指向は、成長の意味内容を問いなおし、公共財の創出発展を政治の最重要課題とするものでなければならないとする。その論拠は、自明とされている世界における資源の枯渇、環境問題、それらによる経済成長の問題が、政治な自由平等を侵食しているというものである。岡野はこの政治学の課題を「政治生態学」と称している。

岡野政治学は、机上の空理空論の政治学をもっとも嫌い、国外、とりわけ北欧において政治制度の研究を行い、そのモデルを日本の政治制度と比較することによって、双方の長所と欠点を専ら研究の対象とした。政治制度は、ありのままの制度を研究するというのではなく、政治過程における制度の形成過程の現場に立ち会い、直接実証記述を行うという実証政治学の立場を貫いている。このような経歴を持つ岡野に対して、自由民主党、日本社会党民社党は政治家立候補への要請を何度となく行ったが、岡野はこれを受け容れなかった。岡野政治学は、特定のイデオロギーによらない政治学を構築し、リアリズムの政治学を目指している。

田中角栄汚職事件もリクルート事件も、政党の内部問題として批判することなく、汚職を取り巻いている日本の政治風土や日本国民を断罪することのほうに力点がおかれている。また、汚職で逮捕された田中角栄を全否定するのではなく、その政治的業績の功罪両方をバランスよく総括的に評価するという政治学者としての義務をも果たしている。

普遍的政治理念とされる「自由平等平和人権非暴力」を、どの政党も基本的に認知している点で、特定の政党に肩入れしない中立的な政治姿勢を保っている。


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