岡部孝信
基本情報
誕生日 (1970-10-26) 1970年10月26日(53歳)
出身地 日本
北海道上川郡下川町
選手情報
クラブ雪印メグミルク
ワールドカップ
シーズン1989年-2014年
優勝回数5回
他の表彰台18回
表彰台獲得数23回
獲得メダル
スキージャンプ
オリンピック
金1998 長野ラージヒル 団体
銀1994 リレハンメルラージヒル 団体
ノルディックスキー世界選手権
金1995 サンダーベイノーマルヒル個人
銀1997 トロンハイムラージヒル団体
銅1995 サンダーベイラージヒル団体
銅2007 札幌ラージヒル団体
銅2009 リベレツラージヒル団体
最終更新日:
テンプレートを表示
岡部 孝信(おかべ たかのぶ、1970年10月26日 - )は、日本の元スキージャンプ選手で、現在は指導者である。駒大岩見沢高校から北海道拓殖銀行を経て、雪印メグミルクスキー部に所属する。
1995年サンダーベイ世界選手権個人ノーマルヒル、1998年長野オリンピック団体の両金メダリスト。 高校時代は後輩の東輝や葛西紀明の陰に隠れる存在で、北海道拓殖銀行入社後の1993年に日本代表入り。 翌年のリレハンメルオリンピックではラージヒル団体で銀メダルを獲得。団体ではドイツのイェンス・バイスフロクに次いで全選手で二番目の合計得点を記録した。 翌1995年には世界選手権サンダーベイ大会でノーマルヒルチャンピオンとなる。 1998年長野オリンピックラージヒル団体では、1回目では強い横風の中でK点を越え、2回目ではバッケンレコード(ジャンプ台記録)となる137メートルの飛躍を見せ、日本の金メダル獲得に貢献した。前回同様、団体ではオーストリアのアンドレアス・ビドヘルツルに次いで全選手で二番目の合計得点を挙げた。 その後はジャンプ競技のレギュレーション変更で苦戦し、一時は日本代表落ちしたが、同じく低身長のアダム・マリシュのジャンプを参考にするなどして、以後は第一線の選手として活躍する。 2009年3月10日にはスキージャンプ・ワールドカップクオピオ大会で11シーズンぶりに優勝(通算5勝目)し、葛西紀明の31歳7ヶ月の記録を大幅に更新する38歳4ヶ月と15日という史上最年長優勝記録を打ち立てた[注 1]。また、世界選手権のジャンプ団体では、2007年大会・2009年大会と日本の表彰台獲得に貢献し、日本ジャンプ陣を長年にわたって支え続けた。 2010年バンクーバーオリンピックでは日本選手団主将に就任するも、当年は前年とは打って変わってスランプに陥り、ノーマルヒル、ラージヒル、団体の3種目とも出場はならなかった。 2013/14シーズン、国内開幕戦の名寄ピヤシリジャンプ大会で優勝し、4シーズンぶりに海外W杯遠征メンバーに選出されるも、そこでは結果を残すことはできず、2014年ソチオリンピックの日本代表には選出されなかった[1]。2014年3月、今シーズン限りでの引退を表明、同年4月より雪印メグミルクのコーチに就任した[2]。2019/20シーズン現在、男子ナショナルチームのコーチを務める[3] 2021年4月、雪印メグミルクスキー部監督に就任する[4]。2023年4月には同部総監督に就任する[5]。
略歴
主な競技成績
冬季オリンピック
1994年リレハンメルオリンピック( ノルウェー)
個人ノーマルヒル 9位
個人ラージヒル 4位
団体ラージヒル 2位(西方仁也、岡部孝信、葛西紀明、原田雅彦)
1998年長野オリンピック( 日本)
個人ラージヒル 6位
団体ラージヒル 優勝(岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜)
2006年トリノオリンピック( イタリア)
個人ノーマルヒル 23位
個人ラージヒル 8位
団体ラージヒル 6位(伊東大貴、一戸剛、葛西紀明、岡部孝信)
2010年バンクーバーオリンピック( カナダ)
代表に選出されたが競技出場は無し。
世界選手権
1993年ファルン大会( スウェーデン)
個人ノーマルヒル14位
個人ラージヒル12位
団体ラージヒル5位(須田健仁、岡部孝信、葛西紀明、原田雅彦)
1995年サンダーベイ大会( カナダ)
個人ノーマルヒル 優勝
個人ラージヒル 15位
団体ラージヒル 3位(安崎直幹、岡部孝信、西方仁也、斉藤浩哉)
1997年トロンハイム大会( ノルウェー)
個人ノーマルヒル 12位
個人ラージヒル 12位
団体ラージヒル 2位(船木和喜、岡部孝信、原田雅彦、斉藤浩哉)
2001年ラハティ大会( フィンランド)
団体ノーマルヒル 4位(宮平秀治、岡部孝信、原田雅彦、葛西紀明)
2005年オーベルストドルフ大会( ドイツ)