おかだ まり岡田麿里
プロフィール
別名超平和バスターズ(長井龍雪、田中将賀との共有筆名)
誕生日 (1976-04-23) 1976年4月23日(48歳)
出身地 日本・埼玉県秩父市[1]
出身校アミューズメントメディア総合学院
主な作品
映画『まじめにふまじめ かいけつゾロリ なぞのお宝大さくせん』
『心が叫びたがってるんだ。』
『さよならの朝に約束の花をかざろう』
『空の青さを知る人よ』
『アリスとテレスのまぼろし工場』
アニメ『とらドラ!』
『true tears』
『花咲くいろは』
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
『凪のあすから』
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』
舞台ミュージカル黒執事 -The Most Beautiful DEATH in The World- 千の魂と堕ちた死神
受賞
上海国際映画祭
アニメーション部門 最優秀作品賞
2018年『さよならの朝に約束の花をかざろう』シッチェス・カタルーニャ国際映画祭
ファンタスティック・ディスカバリー部門 最優秀長編作品賞
2018年『さよならの朝に約束の花をかざろう』ゆうばり国際ファンタスティック映画祭
ニューウェーブアワード(クリエイター部門)
2018年『さよならの朝に約束の花をかざろう』アニメーション神戸
個人賞(脚本家)
2011年毎日映画コンクール
アニメーション映画賞
2024年『アリスとテレスのまぼろし工場』
その他
小説家・漫画原作者・作詞家・映画監督
日本脚本家連盟会員
テンプレートを表示
岡田 麿里(おかだ まり、1976年[2][3]4月23日[3] - )は、日本の脚本家・小説家・漫画原作者・作詞家・アニメ監督。埼玉県秩父市出身[1]。アミューズメントメディア総合学院卒業。日本脚本家連盟会員[3]。 ※ 以下は本人の自伝(#参考文献を参照。以下出典「岡田」については、この本の略)に記載されていた内容を中心に記載している。自伝のため第三者の客観的な公表事実だけが書かれているわけではないが、概ね下記のような経緯で現在の職業に就いたとされる。 両親は3歳の頃に離婚し[4]、母と母方の祖父(高校時代に死別)の3人家族で育つ[5]。小学校低学年の頃から月に1・2回程度の「ずる休み」をするようになり[5]、5年生の頃から不登校が本格化した[6]。 中学校進学に際して、誰からも嫌われない親友をモデルに「キャラクターづくり」をしてクラス内で思い描いていたポジションを得たが[7]、1年生の1学期が終わる頃にはストレスを覚えるようになり、学校を休む[8]。欠席の間に小学校時代の不登校の話が広まり、クラスの中で「本当は繊細」というキャラクターづけがされたことで、再度不登校を始めた[9]。ほぼ引きこもりの生活を送り[10]、大きな学校行事がある日などを除いて登校しなかった[11]。ただ、作文の課題だけは提出していた[12]。3年生の時点で卒業に必要な出席日数は満たせない状況だったが、「高校に合格すれば卒業させざるを得ない」という話を聞き、自宅で受験勉強をして高校に合格した[13]。 しかし、高校でも半年程度で三たび不登校となる[14]。高校には「決められた課題を提出すれば最低限の出席日数でも進級できる」という決まりがあり、担任教師と話して読書感想文を提出することになった[15]。感想文には担任教師が評をつけて返却し、そのやりとりは3年生まで続いて[16]、高校を卒業する[17]。岡田はコンピュータゲームの専門学校に入ることを決め[18]、1995年春に上京した[19]。 専門学校では自分と似たオタクや不登校経験者と知り合った[20]。専攻はゲームシナリオコースで、授業が楽しく、やがてシナリオライターになりたいと思うようになる[21]。しかし、伝手は全くない状態で、成人向けVシネマのシナリオ募集を見つけて応募、卒業直前に採用されてデビューした[22]。Vシネマのシナリオは非常に安価だったため、テープ起こしで生計を立て、やがてフリーで漫画原作、ゲームシナリオ、CDドラマなどの脚本に携わる[23]。 1998年の『DTエイトロン』の第9話「FANG OF THE TANK-CEMETERY」よりアニメ脚本を手掛け始める[24]。岡田によると、ブラインドタッチのできない知人から「タイピング要員」として仕事を頼まれて初めてアニメ作品に参加し、監督のアミノテツローから「ライター希望なら」とアイディアを求められてシナリオを書くに至ったという[25]。しかし以後の営業をせず、すぐにアニメのライターにはならなかった[26]。2001年に『おとぎストーリー 天使のしっぽ』の脚本を担当。この作品を契機にアニメのライターを志し、アミノテツローに仕事をしたいと申し出る[27]。アミノからは「自分についてのシナリオを書く」という課題を与えられ、岡田は自らの不登校時代をモチーフにしたシナリオを提出した[27]。岡田にとって、不登校のカミングアウトという側面もあった[28]。アミノからは「アニメ業界に入って、いつか俺の遺作のホン(脚本)を書け」という返事をもらい、本格的にアニメのシナリオライターとなる[28]。 2011年上半期に、『フラクタル』『放浪息子』『GOSICK -ゴシック-』『花咲くいろは』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。
経歴