岡田記念館
[Wikipedia|▼Menu]

岡田記念館
Okada Memorial Museum[1]
大門(2014年1月)
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} 栃木県内の位置
施設情報
正式名称岡田記念館
来館者数6,133人(2018年度)[2]
館長岡田陽子(2018年現在)[3]
事業主体個人
管理運営個人[4]
開館1978年(昭和53年)6月[5]
所在地328-0072
栃木県栃木市嘉右衛門町1-12
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度23分10.2秒 東経139度44分0.1秒 / 北緯36.386167度 東経139.733361度 / 36.386167; 139.733361座標: 北緯36度23分10.2秒 東経139度44分0.1秒 / 北緯36.386167度 東経139.733361度 / 36.386167; 139.733361
最寄駅東武日光線宇都宮線新栃木駅[6]
最寄バス停ふれあいバス岡田記念館前
最寄IC東北自動車道栃木IC[4][6]
外部リンク ⇒公式サイト
プロジェクト:GLAM
テンプレートを表示

岡田記念館(おかだきねんかん)は、栃木県栃木市嘉右衛門町にある博物館。当地を開拓した岡田嘉右衛門の屋敷を一般公開した施設であり[7]、2020年(令和2年)現在も当地で子孫が生活している[8]

岡田家に伝わる陣屋土蔵を公開し、館内では栃木県指定有形文化財を含む美術品・武具・史料[9]・着物・道具などを展示している[10]。記念館から西へ100 mほど行くと、日本国登録有形文化財の翁島別邸(おきなじまべってい)がある[11]
岡田家

嘉右衛門町は江戸時代初期に岡田嘉右衛門が開拓した嘉右衛門新田村を起源とし、旧日光例幣使街道に沿って商家の面影を残す住宅が建ち並ぶ町である[7]。岡田家は後醍醐天皇に仕えた武士の家系であるとされ[12]、岡田嘉右衛門は栃木宿本陣を営み、名主も務め、当地が旗本畠山氏知行地となると代官を拝命し、屋敷内に陣屋を設置した[7][10]。これ以降、当主は代々嘉右衛門を襲名してきた[6][8]

2014年(平成26年)現在の当主は26代目であり[10]、先代の逝去に伴い、戸籍名を岡田嘉右衛門に改名した[13]宝暦10年(1760年)から始まり146年続く日記を保有し[10]、貴重品を保護するため、隠し引き出しのある引き出しを継承する[12]

2018年(平成30年)現在、岡田記念館の館長を務める岡田陽子[3] は、25代当主の妻[3]・26代当主の母である[4]。26代当主は医師であり、記念館の運営は基本的に館長1人で行っている[3]
記念館

4,000 m2に及ぶ敷地[6] には江戸時代から大正時代までの[14]、土蔵・見世蔵・木造店舗などが現存し[6] 白壁の建築が目立つ[10]。そのうち公開している土蔵は3棟あり[15]、それぞれ1号館、2号館、3号館と名付けられている[16]。蔵の中では岡田家伝来の宝物を展示しており、具体的には富岡鉄斎筆「韓人堪忍図」[6]、早乙女家親の甲冑[12]徳川家から下賜された燭台[3]松根東洋城板谷波山、飯塚琅?斎(いいづか ろうかんさい)らの作品である[6]。ほかに代官屋敷、床屋、陽月亭(句会などに使用)、庭園、書斎を公開している[16]

敷地内には市村理髪館の建物が残る[17][18]。市村理髪館は栃木県最古の理容所[16][18][19]、江戸時代に出張理容を営んでいた業者が岡田家の一角を借用して明治初期に開業し、1989年(平成元年)まで営業していた[17][18]。開業当初は「一見さんお断り」の格式高い店であったという[17][18]。店内には廃業時点まで使っていた器具などがそのまま残っており、2017年(平成29年)9月4日全国理容生活衛生同業組合連合会から理容遺産の認定を受けた[17]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef