岡田武史
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岡田 武史

2010年5月25日、内閣総理大臣官邸にて
名前
愛称岡ちゃん
カタカナオカダ タケシ
ラテン文字OKADA Takeshi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1956-08-25) 1956年8月25日(67歳)
出身地大阪府大阪市[1]
身長175cm
体重70kg
選手情報
ポジションDF

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1980-1990 古河電工 189 (9)
代表歴2
1980-1985[2] 日本24 (1)
監督歴
1997-1998 日本代表
1999-2001 コンサドーレ札幌
2003-2006 横浜F・マリノス
2007-2010 日本代表
2012-2013 杭州緑城
1. 国内リーグ戦に限る。2008年4月12日現在。
2. 2010年7月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

岡田 武史(おかだ たけし、1956年8月25日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現在はFC今治運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」代表取締役、日本エンタープライズ社外取締役城西国際大学特任教授[3]日本サッカー協会参与(名誉役員)[4]ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事[5]学校法人今治明徳学園 学園長。[6]

選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。古河電気工業サッカー部(現・ジェフユナイテッド千葉)でプレーし、サッカー日本代表として国際Aマッチ24試合に出場。

現役引退後は指導者の道に進み、サッカー日本代表のコーチを務めていた1997年、加茂周の更迭に伴って監督に昇格。日本代表を初のFIFAワールドカップ出場に導き、1998 FIFAワールドカップ本大会でも指揮を執った。2007年から再び日本代表の監督を務め、2010 FIFAワールドカップでベスト16。クラブチームではコンサドーレ札幌横浜F・マリノス、中国の杭州緑城の監督を歴任した。横浜FMでは2003年、2004年とJ1リーグ連続優勝を果たし、日本が世界に誇る、もっとも優れた名監督の一人とされる[7]

「岡ちゃん」の愛称で知られる[8]眼鏡がトレードマークで、現役時代には眼鏡を外さずプレーしていたこともある(但し、現在一般に公開されている現役時代の写真等では眼鏡を外しているものも少なくない)[9]
来歴
幼年期?大学時代

大阪市生まれ[10]、父は産婦人科医。姉一人と本人の二人兄弟。岡田の子どものころは大阪でサッカーはほとんどやっておらず[10]帝塚山学院小学校時代は、大阪球場を本拠としていた南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークスの前身)が運営する「南海ホークス子供の会」に入会して野球に明け暮れ[10]、ホークス応援のために大阪球場へと通う野球少年だった。ホークスの4番でファーストを守っていたケント・ハドリに憧れ[10]、同会ではピッチャー兼ファーストだった[10]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ホークスではファースト、学校のクラブではピッチャーであった(「ホークス子供の会」では1学年下に岡田彰布も所属していた)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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