岡田明丈
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岡田 明丈広島東洋カープ #123
2016年6月18日 マツダスタジアムにて
基本情報
国籍 日本
出身地東京都練馬区
生年月日 (1993-10-18) 1993年10月18日(30歳)
身長
体重185 cm
97 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション投手
プロ入り2015年 ドラフト1位
初出場2016年4月1日
年俸800万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


大阪商業大学高等学校

大阪商業大学

広島東洋カープ (2016 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

岡田 明丈(おかだ あきたけ、1993年10月18日 - )は、東京都練馬区出身のプロ野球選手投手育成選手)。右投左打。広島東洋カープ所属。
経歴
プロ入り前

東京都練馬区の強豪・大泉第二中学校の軟式野球部で三塁手として野球を始める[2][3]。中学3年の時に両親が離婚し、高校入学のタイミングで母の実家がある大阪へ転居する[4]

大阪商業大学高等学校で投手に転向。3年夏にストレートの球速が140km/hを記録し背番号10ながら先発を任される[5]。準々決勝の大阪桐蔭戦で先発したが5回で0対10とコールド負けを喫し、甲子園出場はなかった[6]

大阪商業大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場するも[5]、その後3年の春まで登板機会がなかった[5]。登板機会がなかった原因としては故障などではなく、絶対的エース(近藤大亮)を起用して好成績を残したいというチーム事情と岡田の実力不足という要因があった[5]。しかし、4年の春には6勝0敗、防御率2.17の好成績を残し[7]、秋でもまた6勝0敗、防御率1.00の好成績を残し[7]関西六大学秋季リーグ戦で2季連続の優勝に貢献[8]。最優秀投手賞を2季連続で、秋はベストナインも受賞した[9]大学選手権ではベスト8[10]、リーグ戦通算15勝3敗。

2015年10月22日に行われたドラフト会議広島東洋カープから1位指名を受け、11月13日に契約金1億円、年俸1500万円で合意した[11]。背番号は17。
広島時代

2016年、開幕を一軍で迎え先発ローテーション入りを果たすと、4月1日の読売ジャイアンツ戦(マツダスタジアム)で初登板初先発を果たし、6回2/3を3失点だった。6月4日の対福岡ソフトバンクホークス戦(マツダ)では、5回を投げ切った時点で降雨コールドとなり、初完投を記録[12]。6月25日の対阪神タイガース戦(マツダ)で6回0/3を2失点に抑え、9度目の登板でプロ初勝利を飾った[13]。新人ながらポストシーズンにも先発起用され、横浜DeNAベイスターズとのクライマックスシリーズファイナルステージでは4回戦に先発し、5回を4失点(自責点3)の内容ながら勝利投手となった[14]北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第4戦に先発し、勝敗は付かなかったが6回を1失点と好投。球団の新人投手で日本シリーズに登板するのは、川端順長冨浩志に次いで3人目、先発に至っては長冨以来2人目の快挙であった[15]

2017年は開幕からローテーション入りし、4月15日の対阪神戦(マツダ)では4安打1失点9奪三振で初の9回完投勝利を記録した[16]。しかし5月6日の対阪神戦(甲子園)では、5回までは好投していたが6回だけで4四死球を喫し降板、その後チームは球団ワーストタイの9点差の逆転負けを喫した[17]。その後も突如制球を乱す場面が相次いだため、シーズン終盤はローテーションを外れ規定投球回にも届かず、DeNAとのクライマックスシリーズファイナルステージでは一軍メンバー入りしたものの登板機会がなかった[18]。それでもチーム2位の12勝を記録し、チームの37年ぶりのリーグ連覇に貢献している。

2018年も開幕からローテーション入りしていたが、防御率5点台、リーグワーストの自責点78を喫するなど不安定な投球が続き、前年同様シーズン終盤にローテーションを外され、規定投球回到達は果たせなかった。ソフトバンクとの日本シリーズでは第3戦(10月30日・ヤフオク!ドーム)に3番手でリリーフ登板するも1回を投げ4失点を喫し[19]、以後登板は無かった。11月、日米野球の出場選手に肩の違和感により辞退となった松永昂大に代わり、選出された[20]

2019年も開幕からローテーション入りしたが、4月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦(マツダ)でイップスのような症状を発症し[21]、翌日に二軍降格した。わずか3試合の登板でプロ入り後初めて未勝利に終わった。

2020年は二軍でも14試合登板、0勝4敗、防御率5.22と苦しみ、プロ入り初の一軍未登板に終わった[22]

2021年も一軍登板はなく、10月27日に右肘内側側副靱帯再建術・屈筋腱断裂修復・肘頭骨棘切除手術を行ったことが同月29日に発表された[23]

2022年、手術後のリハビリの為、一軍二軍共に未登板に終わった[24][25]

2023年も一軍での登板がなく、10月5日に戦力外通告を受け[26]、シーズンオフに育成選手として再契約した[27]。背番号は123。
選手としての特徴

ワインドアップのアーム式気味のオーバースローからの直球の最速は155km/h[28]、好調時で常時140km/h台後半を記録する[2]


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