岡田史子
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岡田 史子(おかだ ふみこ、本名・高田富美子[注釈 1]1949年7月23日 - 2005年4月3日)は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の漫画家。詩的な作風の漫画を多く発表した。
経歴

永島慎二西谷祥子の元で一時アシスタントをした後、 1967年に手塚治虫主宰の月刊漫画雑誌「COM」2月号で「太陽と骸骨のような少年」を発表し、商業誌デビュー。

1960年代後半「COM」を中心に活躍したが、1972年、漫画家としての活動をやめ北海道に帰郷[2][注釈 2]、地元の会社に勤めるようになり、1976年に結婚する。しかし彼女の熱狂的なファンである萩尾望都の熱望により再度筆を取り[注釈 3]、1978年に復帰する。しかし、「もうあの頃のような作品は描けない」と自ら再び作家活動を断念。

離婚後、病弱のため仕事に困って再び再起を目指して1994年に「COMICアレ!」(マガジンハウス)に作品を投稿したものの落選。この落選について岡田は、「選者のひとり、竹宮惠子さんから手紙をいただきまして。作品自体の出来が良くない。あなたはマンガ界の現状を知らなすぎるようですと書いてあった。それでマンガ家への道はあきらめたんです。私のマンガ家生活は、それで終ったんだと思い」、「今(1996年or1997年当時)は、・・・保険外交員の仕事」に就いていると語っている[注釈 4]

その後は筆を取ることなく、2005年に55歳で永眠。東京の自宅で入浴中の死去で、心不全と言われているが詳細は不明[3]
人物

1949年に一男三女の次女として北海道静内町に生まれる。12歳で母を亡くし[4]、そのことが自身の精神面に強い影響を与えたという。母を失ったことに対する喪失感がその後の漫画作品を生んだという[4]。成績がよく、高専に合格したが、親から下宿代が払えないと言われて地元の高校に進学し、手描き漫画の同人誌に参加[3]。1966年に当該同人誌「奇人クラブ」会長から永島慎二の『漫画家残酷物語』を教えられ、その漫画表現の自由さにショックを受ける。「漫画でこんなことをしていいのか」と思い、それまで描き溜めていた漫画(自称「少女マンガ」)をすべて燃やしてしまった。

同年1966年に「太陽と骸骨のような少年」7ページを「ガロ」に送ったが、雑誌に合わないと送り返されたため、「COM」に送ってデビューした[3]。投稿作品は2ページのみの掲載という決まりだったが、編集者が首をかけて全ページ掲載を強く主張し、7ページ全てが掲載された[3]。その後4作品が掲載されたのち、1968年には、自身を投影したという「ガラス玉」で同誌の新人賞を獲得した[3][4]。高校卒業後上京し、洋紙店の事務員をしながら「COM」でほぼ毎月短編作を発表、姉妹誌「ファニー」では8か月の連載もしたが、20歳で実家に戻って漫画制作を続け、翌年には週刊誌でヌードを披露した[3]

ルムンバ大学への留学を希望し再度上京したが、無料の留学制度がなくなったと知り、洋紙問屋や喫茶店などで働きながら食いつなぎ、アニメ『あしたのジョー』の彩色バイト中に虫プロアニメーター養成所に入るもアニメに向いていないことを痛感し、退所[3]。頭痛薬を大量に飲むようになり、「COM」デビュー時に全ページ掲載を叶えてくれた担当編集者に「死にたい」と漏らしたところ、一緒に死のうということになり、睡眠薬などを買って北海道の雪山に向かったが死にきれず、その編集者と結婚した[3]。しばらく筆を断ったのち、1978年に再開したが、1990年の「エリム」が最後の作品となった[3]

学生時代から詩や小説、ギリシア神話などに興味を持ち、クラブ活動で詩を発表していた。小説では『チボー家のジャック』(マルタン・デュ・ガール)が愛読書で、17歳の時にそれを含む全5巻を読破している。北杜夫のファンでもあり、特に『楡家の人びと』を好んで読んだ。ファンレターを送った際、その中で「私は将来漫画家になりたい」と書いたが、文体が北の文体にそっくりだったことや高校生という年齢を考えてか「あなたの年齢では何になると考えるよりも前に、自分自身になろうとすべきです。」という返事が返ってきた。以来、岡田は自分自身になろうと努力するようになったという[5]

絵や漫画も描いていたが、特に高校教師に「おまえの絵に似ている」として紹介されたムンクの絵を非常に気に入った[4]。後年、「好きな画家は山ほどいますがムンクのように私生活にまで興味を持ってしまった人は他にいません」と述懐している[6]

音楽面ではビートルズに非常に関心があり、生前に行われたインタビューにおいて話題が音楽に移ると必ずビートルズのことを語っている。作中で直接ビートルズについて触れているのは、「夢の中の宮殿」(1979年)でトリヴィアを披露した程度だが、幾つかの作品で歌詞を引用している[注釈 5]。また、青島広志によると「トッコ・さみしい心」の描線に『イエロー・サブマリン』の影響が現れているという[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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