岡村孝子
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おかむら たかこ
岡村 孝子
出生名おかむら たかこ
岡村 孝子
生誕 (1962-01-29)
1962年1月29日(62歳)
出身地 日本愛知県岡崎市
学歴椙山女学園大学中退
ジャンルJ-POP
職業シンガーソングライター
活動期間1985年 -(ソロデビュー)
レーベルファンハウス
(1985年 - 1994年)
east west japan→ワーナーミュージック・ジャパン
(1995年 - 2001年)
BMG JAPAN
(2002年 - 2008年)
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
(2011年 - )
事務所Cotton
共同作業者萩田光雄、Ebako Jr
公式サイトwww.okamuratakako.com

岡村 孝子(おかむら たかこ、1962年1月29日 - )は、日本シンガーソングライターあみんのメンバー。愛知県岡崎市出身。アルバムのセールス枚数は、総計600万枚を超える。
来歴
生い立ち

父親の岡村秀夫[注 1]三重県伊勢市に生まれ、高校卒業後、愛知県岡崎市に移住。1961年、同じ三重県[注 2]出身の千代と結婚[1]、岡崎市西本郷町に家を構えた。1962年、孝子が二人の間に生まれる。労働運動家として知られた父親は、1967年に岡崎市議会議員に転身。

孝子は弟が一人おり[2]、母方の傍系尊属高祖母の弟)に七代目松本幸四郎がいる[3]

岡崎市立矢作西小学校岡崎市立矢作中学校卒業。1980年、愛知県立岡崎北高等学校卒業[4][5]
あみんとしての活動詳細は「あみん#来歴」を参照

一浪後の1981年、椙山女学園大学に入学。同大学星ヶ丘キャンパス在学中、同級生の加藤晴子とデュオの「あみん」を結成。

1982年春、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場。「待つわ」を歌い、グランプリを受賞。同曲は1982年のオリコン年間売上1位となるヒットを記録した。1983年「あみん」の活動を休止。

2007年、あみんとして活動を再開。同年12月31日に『第58回NHK紅白歌合戦』紅組で出場、デビュー曲「待つわ」を披露している。

あみんとして2008年に発表したアルバム『未来へのたすき』歌詞カードには、あみん活動再開後も岡村のソロ活動は並行して続いている(休止していない)ことが明記されている。
ソロ活動

椙山女学園大学を中退後、花嫁修業などをしていた時もソロ活動を求める声があり、再度上京。ソロとして1985年にファンハウス(現:Ariola Japan)より岡村孝子としてソロデビューする。

1986年、来生たかおの「はぐれそうな天使」のカバーを歌ったところ、ホンダ・トゥデイコマーシャル[注 3]に起用、一気に人気度が高まる。当楽曲は現時点で詞・曲ともに自作でない唯一の楽曲。

1987年、「夢をあきらめないで」を発表。応援歌的な内容が幅広い層から支持を集め、岡村の代表作となった。当初は武蔵予備校のCMソングのタイアップがあった。後年、中学校の音楽教科書「中学音楽 音楽のおくりもの 2・3 上」(教育出版刊)に採用されている。

「夢をあきらめないで」は、2005年公開の映画『逆境ナイン』の主題歌(原作者・監督の強いリクエスト)として起用された。リリースから18年たった2005年、デジタルリマスタリングを施し「夢をあきらめないで 『逆境ナイン』リマスタリング・バージョン」として再発売。当曲は、乙葉金月真美[注 4]など様々な歌手によりカバーされる。

OLが多い同世代の感性を表現した岡村の歌詞と楽曲が、若い女性を中心に支持を集め、90年代初頭に「OLの教祖」と称された。

1990年代に同じファンハウス所属で同年代のシンガーソングライター・辛島美登里とは担当部署が違っていたため、当時は面識がなかった。2016年にTBSラジオの『辛島美登里 こころん、ふるさと』で共演している。2019年、岡村が白血病で闘病していた時には辛島が励ましのツイートをしている。

1995年、所属レーベルをeast west japanに移籍。

2003年、BMGファンハウス(現・BMG JAPAN)へ復帰。

2005年、NHK夢・音楽館』で、あみん結成の頃から岡村の憧れであったさだまさしと初共演した。ソロ時代は一切音楽番組の出演を断っていたが、さだとの共演ということで出演。NHK BSプレミアムで「岡村孝子コンサート」を放送直後、視聴者からDVD発売や再放送等の反響が大きくなった。先述の共演が縁となり、2006年、さだとのコラボレーションによるシングル「銀色の少女」を発表。コーラスとして参加した加藤との再共演も実現。

2011年、所属レーベルをヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍。同年9月、約5年振りのソロ・デビュー25周年記念アルバム『勇気』をリリース。

2015年、ソロデビュー30周年を迎える。

2016年、ソロデビュー30周年を記念して、9月には2002年発売『DO MY BEST』以来となるオールタイム・ベストアルバム『DO MY BEST II』とEncore IからVIまでのシリーズを中心に選曲したライブ・セレクション映像集『encore memories』を相次ぎリリース。

同年4月、「LOVEあいちサポーターズ あいち音楽大使」に就任。7月に岡崎市民栄誉賞を受賞[6]

2017年、第70回全国植樹祭(2019年6月2日開催。会場は愛知県尾張旭市)のテーマソングを手がけることが決定。同年4月26日愛知県庁大村秀章愛知県知事の下、制作委嘱式が行われた[7]
結婚

1997年1月、当時、読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手石井浩郎と結婚。同年9月、一女を授かった。

2002年、ベスト・アルバム『DO MY BEST』発表後、宮城県仙台市からコンサート活動を再開。コンサート最終日の渋谷公会堂では、当日1日限りで「あみん」を再結成。「天晴な青空」と「待つわ」の当時ヒットした2曲を披露。

2003年、アルバム『TEAR DROPS』をリリース、エッセイ「Happyをさがして」の連載を『産経新聞』大阪版夕刊で開始(2005年に書籍化)。同年に石井浩郎と離婚。当時5歳の長女は岡村が引き取る[8][9]
闘病そして復活

2019年、6年振りのオリジナル・アルバム発売とコンサートツアーを予定していたが、4月17日急性白血病との診断を受け入院。治療のため長期休養に入った[10][11]


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