岡本 眸(おかもと ひとみ、女性、1928年1月6日 - 2018年9月15日[1])は、俳人。本名・曽根朝子。 東京生まれ。戦時に青春期を過ごしたため、少女時代は勤労動員のために費やされた。自宅は空襲で二度焼けている。戦後、聖心女子専門学校国語学科を卒業。日東硫曹に就職し、社長秘書として句会の幹事を任されたことをきっかけに俳句をはじめる。1951年、職場句会を通じて富安風生に師事、1956年に風生の「若葉」に入会。1957年、岸風三楼の指導を受け「春嶺」に入会。のち両誌の同人。1961年に句友の曽根けい二と結婚するが、けい二は1976年に脳溢血のため急逝した。結婚を機に長く葛飾区金町の金町駅前に在住し、同地の風景を多数詠んだ[2]。1980年「朝」を創刊・主宰。1989年より毎日俳壇選者(2000年まで)。 代表句に「残りしか残されゐしか春の鴨」「雲の峰一人の家を一人発ち」「秋風や柱拭くとき柱見て」など。「俳句は日記」を信条とし、日常生活に真摯に向かい、写実を基本としつつ叙情性のある句を詠んでいる。
梗概
受賞歴
1959年 - 春嶺賞
1961年 - 若葉賞
1971年 - 第11回俳人協会賞(句集『朝』)
1984年 - 第8回現代俳句女流賞(句集『母系』)
1994年 - 紫綬褒章
1999年 - 勲四等宝冠章[3]
2007年 - 第41回蛇笏賞(句集『午後の椅子』)
2008年 - 第49回毎日芸術賞(句集『午後の椅子』)
著書
『岡本眸集』俳人協会 1979
『俳句実作セミナー』牧羊社 1983
『母系』牧羊社 1984
『十指』角川書店 1985
『岡本眸の俳句を始める人のために』池田書店 1987
『川の見える窓 随想集』牧羊社 1988
『矢文』富士見書房 1990
『季のある暮らし 俳句の読み方・味わい方』牧羊社 1990
『現代俳句入門 つくり方と上達法』家の光協会 1990
『手が花に』牧羊社 1991
『自愛』ふらんす堂 1992
『岡本眸』花神社
『流速』朝日新聞社 1999
『岡本眸読本』富士見書房 1999 (俳句研究別冊)
『俳句は日記』日本放送出版協会 2002
『一つ音』ふらんす堂 2005
『午後の椅子』ふらんす堂 2006
『栞ひも』角川学芸出版 2007
『四季逍遥 岡本眸写真集』ウエップ 2010.
参考文献
塩野谷仁 「岡本眸」 『現代の俳人101』 新書館、2004年、84-85頁
西村和子 「岡本眸」 『現代俳句事典』普及版、三省堂、2008年、113-114頁
外部リンク
現代俳句人名事典における ⇒岡本眸の俳句(現代俳句協会)
⇒岡本眸の句の鑑賞(増殖する俳句歳時記)
出典[脚注の使い方]^ 俳人の岡本眸さん死去
表
話
編
歴
毎日芸術賞受賞者
第1回
井上靖
八代目松本幸四郎
間宮芳生
第2回
丹羽文雄
土門拳
第3回
吉川英治
小林正樹
安川加壽子
第4回
谷崎潤一郎
内村直也
八代目坂東三津五郎
第5回
舟橋聖一
新藤兼人
第6回
伊馬春部
三島由紀夫
第7回
野口冨士男
市川崑
第8回
三善晃
滝沢修
岡田謙三
第9回
司馬遼太郎
第10回
杉村春子
茂木草介
東山魁夷
岩田藤七
第11回
秋元松代
平野謙
棟方志功
第12回
東野英治郎
山田洋次
第13回
大岡昇平
白川義員
第14回
辻邦生
宇野重吉
第15回
櫻間道雄
第16回
荒正人
山田五十鈴
第17回
仲代達矢
倉本聰
第18回
遠山一行
森繁久彌
第19回
寺田透
黒川紀章
第20回
有吉佐和子
飯沢匡
林忠彦
第21回
東敦子
篠山紀信
前進座
第22回
五代目河原崎國太郎
篠田一士
若杉弘
越路吹雪
第23回
森下洋子
藤原新也
第24回
佐多稲子
八代目松本幸四郎
林康子
第25回
水上勉
朝比奈隆
三代目市川猿之助
磯崎新
第26回
吉村昭
佐々木昭一郎
山本安英