岡本真夜
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岡本 真夜
出生名岡本 真夜
別名mayo[1]
生誕 (1974-01-09) 1974年1月9日(50歳)
出身地 日本 高知県中村市
(現:四万十市
学歴高知県立高知南高等学校
ジャンルニューミュージックJ-POP
職業歌手
シンガーソングライター
作詞家
作曲家
編曲家
ピアニスト[1]
担当楽器ボーカル、ピアノ
活動期間1995年 -
レーベル徳間ジャパン (1995年 - 2003年)
avex io (2005年 - 2006年)
日本クラウン (2008年 - 2014年)
ドリーミュージック[2] (2015年 -)
事務所有限会社ノイ
公式サイト岡本真夜Official Website
DREAMS COME TRUE

岡本 真夜(おかもと まよ、1974年1月9日 - )は、日本歌手シンガーソングライター作詞家作曲家編曲家ピアニストとしての名義は、mayo(まよ)[1]

高知県中村市(現:四万十市)出身[3]。中村市立中村小学校、中村市立中村中学校を卒業。高知県立中村高校[4]、2年次に高知県立高知南高校に編入を経て卒業[5]
略歴

1995年5月10日シングル「TOMORROW」で徳間ジャパンからシンガー・ソングライターとしてデビュー[3]。同曲は、TBS系連続ドラマ『セカンド・チャンス』の主題歌に起用された[3]。また、その後オリコン集計の累計売上げが約177万枚まで伸び、出荷枚数は200万枚を突破[3]するヒットを記録し、第33回ゴールデン・アロー賞新人賞を受賞した。翌年には、第68回選抜高等学校野球大会の入場行進曲となるなど、岡本は一躍スターダムにのし上がった[3]

デビュー当初はテレビやラジオ等のメディア露出やライブ活動をすることは一切なかったが、1995年の『第46回NHK紅白歌合戦』でメディア初出演を果たしている[3]

その後、「FOREVER」、「Alone」(同曲はロングセラーとなり、以後も切ないラブソングの名手として才能を発揮していく[3])、「そのままの君でいて」「サヨナラ」などのヒット曲をリリースし、シンガー・ソングライターとして確固たる地位を確立[3]。また、中山美穂中森明菜、同郷の広末涼子島崎和歌子などへの楽曲提供し、アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ「アララの呪文」の作曲や森永製菓小枝』のCM曲なども手がけた。一方、エッセイの執筆や写真展の開催なども行い、活動は多方面に広がっている。

2000年1月にコンサートの美術スタッフの男性と結婚し、同年11月に第一子となる男児を出産。ほどなくして音楽活動を休止したが、翌2001年に活動を再開した。

2010年頃にストレスによりメニエール病を発症し、同時に声が出なくなるという事態にも見舞われた為、一時は引退も考えたがその後完治した[3]。同年、中国・上海万博のPRソングが、岡本の『そのままの君でいて』[注 1]を盗作した疑惑が、日中で大きな騒動となった[3](詳しくは後述)。これにより思わぬ形で岡本が注目されることとなり、同曲はリリースから13年経ってシングルチャートのトップ10入りを果たすという珍しい快挙も達成[3]

2013年、卵巣に直径7cmの「チョコレートのう腫」が見つかり、翌年に手術した[3]

2015年12月31日のブログで、2013年に離婚していたことを公表[6][7]

2016年にデビュー20周年を迎える。それを記念して、3月2日に「mayo」(マヨ)名義でピアニストとしてデビュー[1]

2022年11月1日、楽曲制作などで自分のスタンスを理解してくれる事務所とスタッフに出会い、岡本側(有限会社ノイ)と「ハップレコーズ合同会社」とのマネジメント業務委託という形で、新たなスタートを切った[8][3]

2023年2月、自らプロデュースするアイドルグループ「milk&honey」を立ち上げ。民族ハッピー組のメンバーの多くが参加したが、「関わらせていただけない部分が多く、責任を持てない状況が続いており、当初、グループとしてこういうことはやらないといくつかお約束もさせていただきましたが、それも守ってもらえず」[9]として同年限りでの関係解消を声明[10]

2023年11月、デビュー翌年の1996年に発足しデジタル化以降も続いていた公式ファンクラブ「Sun&Moon」を閉鎖することを発表、同年12月31日をもって閉鎖となった[11]。これまでの公式ホームページ自体も2024年2月1日に閉鎖して新サイトに移行した[12]
来歴
子供時代

名前の由来は真夜中に生まれた為。身長165cm[13]

両親の離婚により、生まれて間もない頃に母方の祖父母に引き取られ、養女として育つ[3]。祖父(養父)は警察官、祖母(養母)は教師で、しつけや勉強に厳しかったが愛情を持って育てられた[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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