岡島一正
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日本政治家岡島 一正おかじま かずまさ
生年月日 (1957-11-03) 1957年11月3日(66歳)
出生地 千葉県市原市[1]
出身校早稲田大学社会科学部卒業
前職日本放送協会報道局
映像取材番組担当副部長
所属政党(自由党→)
民主党→)
国民の生活が第一→)
日本未来の党→)
(生活の党→)
(生活の党と山本太郎となかまたち→)
自由党→)
旧立憲民主党→)
立憲民主党
称号学士(早稲田大学・1981年
親族父・岡島正之(衆議院議員)
公式サイト ⇒岡島一正オフィシャルサイト
衆議院議員
選挙区(千葉3区→)
比例南関東ブロック
当選回数3回
在任期間2003年 - 2005年8月8日
2009年 - 2012年11月16日
2017年10月27日[2] - 2021年10月14日
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岡島 一正(おかじま かずまさ、1957年11月3日 - )は、日本政治家、元報道カメラマン立憲民主党所属の元衆議院議員(3期)。

日本放送協会報道局映像取材番組担当副部長、衆議院決算行政監視委員会筆頭理事、衆議院災害対策特別委員会筆頭理事、民主党副幹事長、国民の生活が第一総務委員長、生活の党・自由党千葉県総支部連合会代表などを歴任した。
来歴
生い立ち

千葉県市原市出身[1]。市原市立姉崎小学校、市原市立姉崎中学校千葉県立木更津高等学校卒業。1981年早稲田大学社会科学部卒業[3]
報道カメラマンとして

1981年に日本放送協会(NHK)に報道カメラマンとして入局する[3]福岡放送局沖縄放送局を経て、報道局の映像取材部や特報部に在籍する[3]。その後、バンコク特派員を経て、報道局にてアジアセンターニュースデスク担当や映像取材ニュース総合デスクを務めた[3]。また、在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、現地デスクとしてペルーに5か月駐在した[3]2000年に報道局の映像取材番組担当副部長に就任し、主として『NHKスペシャル』などの番組の製作にて、映像取材の統括を担当した[3]
政治家として

2001年7月29日第19回参議院議員通常選挙では、自由党公認で千葉県選挙区より立候補するものの次点で落選した。その後、民主党と自由党との合併にともない、民主党に所属する。

2003年11月9日第43回衆議院議員総選挙では、民主党公認で千葉3区から出馬し、自由民主党の前職松野博一を破り初当選した。

党内では保守系の議員の一人ではあるが、イラク日本人人質事件が発生した直後の2004年4月10日生方幸夫小林千代美らとともに民主党衆参27名の署名を集め、イラクから自衛隊を撤退させるよう声明を出した。また、署名はしなかったものの、小沢一郎横路孝弘も賛同していることを明らかにした。

2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では、千葉3区から出馬するも敗れ落選した。2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙にて、千葉3区から出馬し当選した。2009年7月21日、小沢一郎の政治団体「陸山会」より500万円の寄附を受けた。また、2010年9月民主党代表選挙では、小沢に一票を投じた[4]樋高剛佐藤公治松木謙公と並ぶ「小沢側近四天王」の一人[5]

2011年6月2日の衆議院本会議で行われた菅内閣不信任決議案の採決では、党の反対方針に反して棄権した[6][7][8][9]。民主党は6月13日の役員会で党員資格停止3カ月の処分とする方針を決定し[10][11]、6月25日の常任幹事会で正式決定した[12]

2012年消費増税をめぐる政局では、6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決で、党の賛成方針に反して反対票を投じた[13][14]。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された[15][16][17]。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し[18][19][20][21][22]、7月9日の常任幹事会で正式決定した[23][24][25]

同年7月11日国民の生活が第一結党に参加した[26]。国民の生活が第一では、党本部の総務委員長に就任した。また、国民の生活が第一が千葉県総支部連合会を設立すると、その代表に就任した[27]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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