岡山駅
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この項目では、日本の岡山市にある岡山駅について説明しています。台湾鉄路管理局西部幹線の岡山駅については「岡山駅 (高雄市)」をご覧ください。

岡山駅
東口(2022年4月)
おかやま
Okayama

右は岡山駅前停留場
所在地岡山市北区
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本・駅詳細
岡山電気軌道駅詳細
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岡山駅(おかやまえき)は、岡山県岡山市北区駅元町にある[1]西日本旅客鉄道JR西日本)の

近接する岡山電気軌道岡山駅前停留場(おかやまえきまえていりゅうじょう)についてもここで述べる。
概要

岡山県の県庁所在地および政令指定都市でもある岡山市の中心駅。営業キロは、東京駅から732.9 km、新大阪駅から180.3 km。東海道・山陽新幹線全営業列車および四国山陰各方面すべての特急列車が停車する[1]新幹線および在来線8方面(山陽本線神戸方面・福山方面)、伯備線瀬戸大橋線宇野線津山線吉備線赤穂線)と路面電車2方面(岡山電気軌道東山本線清輝橋線)が結節する中四国最大のターミナル駅である。乗降客数においては広島市広島駅に劣るものの、四国山陰各方面への広域旅客輸送の中心駅としての役割を担っており、当駅は中国・四国地方随一の鉄道交通の要衝となっている。現在日本唯一の定期寝台列車である寝台特急サンライズ瀬戸出雲号は当駅で増解結を行う。

駅ナカ商業施設として、サンステーションテラス岡山(さんすて岡山)がある。東口には地下街岡山一番街が位置しており、地下通路から西日本最大級のイオンモールであるイオンモール岡山等にアクセスが可能となっている。西口からはペデストリアンデッキを通じて、岡山シティミュージアム岡山コンベンションセンター、岡山県医師会館にアクセスできる。市内中心部の表町へのアクセスは路面電車岡山電気軌道や路線バスが担っている。

東口には岡山とゆかりの深い桃太郎像が設置されている。
乗り入れ路線岡山駅から発着する在来線の運転系統。

JR西日本の岡山駅には、山陽新幹線と以下に挙げる在来線各線が乗り入れている。在来線は津山線を除いて駅番号が設定されている。

山陽本線 - 在来線における岡山駅の所属線となっている[2]。岡山駅から東の上郡駅方面、西の福山駅方面の列車が発着する。駅番号は上郡方面がJR-S01[3]、福山方面がJR-W01[3]

宇野線 - 岡山駅が起点である。路線は瀬戸内海沿いの宇野駅までの路線だが、現在は途中の茶屋町駅で分岐して本四備讃線へ入り、岡山駅から児島駅や四国方面へ直通する列車がある。宇野駅発着など宇野線内で完結する系統は「宇野みなと線」、本四備讃線へ直通する系統は「瀬戸大橋線」の愛称が、それぞれ制定されている。瀬戸大橋の開業前は宇野駅で四国への宇高連絡船に接続していた。駅番号は宇野みなと線がJR-L01[3]、瀬戸大橋線がJR-M01[3]

津山線 - 岡山駅を起点として県北部の津山駅まで通じている。都市間輸送を担っている。過去には津山駅から因美線に直通し鳥取方面に行く急行列車も設定されていたが、智頭急行智頭線の開業によりこの運転は智頭急行が担うようになった。

吉備線 - 岡山駅を起点として総社駅まで通じている。「桃太郎線」の愛称が付けられている。駅番号はJR-U01[3]

なお、以下の2路線は正式な線路名称上は当駅に乗り入れていないが、運行上は岡山駅が起・終点となっており、駅番号も制定されている。岡山側の正式な起・終点駅を通る列車のうち、赤穂線全列車と伯備線全列車が山陽本線へ乗り入れている[注 1]

赤穂線 - 線路名称上は東岡山駅が終点であり、山陽本線より海沿いを通り兵庫県の播州赤穂駅を経由し相生駅へ通じている。駅番号はJR-N01[3]

伯備線 - 線路名称上は倉敷駅を起点とし、新見駅を経由して山陰方面へ通じている。駅番号はJR-V01[3]

岡山電気軌道の停留場に発着する路線は、東山線のほかにも柳川電停を正式な起点とする清輝橋線の電車も乗り入れている[1]

JR線の支線数においては、東京駅に次ぐ全国第2位である。
歴史岡山駅と旭川岸(1926年5月岡山市役所発行「岡山市写真帖」)。岡山駅周辺の空中写真(1975年1月撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成今も残るレールで作られたホームの屋根、現在の3.4番ホーム。旧西口駅舎(2005年9月)

1891年明治24年)3月に神戸駅から西方向に当時の私鉄である山陽鉄道が延伸する形で開業した[4]。この駅に隣接する形で中国鉄道の路線も敷設され、やがて鉄道国有化の後には岡山駅から放射状に伸びる路線網が整備されることになる。なお、山陽鉄道は1906年(明治39年)に国有化された[4]
戦災復興計画

岡山市は1945年(昭和20年)6月29日の空襲(岡山大空襲)で市街地の大半が焼失したが、市内電車は空襲後72日で復旧した[5]。戦後、1946年(昭和21年)6月に発表された最初の戦災復興計画案では大元駅付近に新岡山駅を建設して付近を大規模に区画整理する計画だった[5]。しかし、この計画は減歩率が3割を超えて市民の負担も大きく、極度のインフレーションもあり、1948年(昭和23年)までに当初の計画は大幅に縮小された[5]。国鉄の弾丸列車計画の頓挫もあり新岡山駅構想は幻に終わったが、この計画を前提にした岡山市役所の大供への移転などは実施された[5]
新幹線開業後

山陽新幹線の岡山開業の際に基本的には現状の駅構造となり、在来線との接続駅として九州を始め各方面への特急が多数発着し、賑わいを見せた。

新幹線が鹿児島中央駅まで開業した現在では、在来線の需要は山陰四国への特急列車が中心となっている。また時代による駅の機能の変化とともに以前は日本で唯一(最後まで)赤帽の常駐している駅であると云われていたが、構内改良工事着工と同じ2006年(平成18年)に廃止された。そして橋上駅舎完成と同時にホームの形状も大きく変わり、立ち食いそば屋などの施設は瀬戸大橋線ホームを除き閉店していった。2020年現在は瀬戸大橋線ホームの立ち食いそば屋も閉店し、跡地に自動販売機が設置されている。
年表

1891年明治24年)

3月18日山陽鉄道三石駅から延伸された際に、御野郡石井村上出石に開業し[6]、旅客・貨物の取扱を開始[2]

4月25日:山陽鉄道が倉敷駅まで延伸開業。三好野駅弁の販売を始める。


1897年(明治30年):荷運夫(後の赤帽)が配置される。

1901年(明治34年):三好野が岡山駅支度所(食堂)を開店。

1904年(明治37年)11月15日:中国鉄道(現・中鉄バス)吉備線が開業し、本線(現・津山線)と同時に当駅に乗り入れる[7][8]

1906年(明治39年)12月1日:山陽鉄道が国有化[2]。山陽鉄道の駅は官営鉄道の駅となる。

1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道の線路名称制定により、山陽本線の所属となる。

1910年(明治43年)6月12日宇野線が開業[9]

1926年大正15年)11月12日:鉄筋コンクリート造りの2代目駅舎が竣工[10]。駅舎内には県下で初めての水洗トイレやビアホールができる。

1938年昭和13年):西口改札口開設。

1944年(昭和19年)6月1日:中国鉄道線が国有化[7][8]。同社本線は津山線に改称。

1945年(昭和20年)6月29日岡山大空襲、本駅舎は火災から免れる。

1952年(昭和27年):「桃娘」登場、駅構内で岡山名産の白桃の季節販売を始める。

1956年(昭和31年):桃娘と同様の「マスカット娘」が登場したが、両方とも1996年に姿を消した。

1959年(昭和34年)

この年:岡山駅地下三番街開業。

4月:津山線・吉備線専用ホーム(5号ホーム)使用開始[11]


1965年(昭和40年)9月24日みどりの窓口営業開始。

1969年(昭和44年)10月1日:貨物の取扱業務を新設の西岡山駅(現在の岡山貨物ターミナル駅)に移管し、当駅での貨物取扱を廃止[2]

1971年(昭和46年)8月1日:旅行センター開業[12][13]

1972年(昭和47年)

1月28日:当駅と富山駅が姉妹駅となり、同日その調印式を行う[14]

3月15日:山陽新幹線 新大阪駅 - 当駅間が開業、3代目駅舎竣工。


1974年(昭和49年)8月24日:地下改札口開設。


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