岡山表町商店街
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岡山表町商店街(おかやまおもてちょうしょうてんがい)は、岡山県岡山市北区にある商店街天満屋百貨店(岡山本店)を中心に広がる岡山市で最大の商店街である[1]
概要
商店街の概要

岡山市北区表町の桃太郎大通りから国道250号に至るアーケードで覆われた商店街の総称である。南北約1.4kmにわたって店舗が並び、北から上之町商店街(アムスメール上之町)、中之町商店街、下之町商店街、栄町商店街、紙屋町商店街、千日前商店街の順に南に伸びている[1]。また、紙屋町商店街と千日前商店街の間に十字路(サーカスドーム)があり、そこから東西に西大寺町商店街が伸びており[2]、さらにその西に新西大寺町商店街が位置している。表町商店街は以上の8町の商店街(表八ヶ町)からなるが、これとは別に表町エリアには東通として「オランダ通り」(オランダ通り商店街)がある[3]

以上の地域は、町名では岡山市北区表町一丁目、二丁目、三丁目に該当する。

商店街組織として、岡山上之町商業協同組合(上之町商店街)、協同組合中之町商店会(中之町商店街)、協同組合岡山市下之町商店会(下之町商店街)、協同組合岡山市栄町商店街(栄町商店街)、協同組合岡山表町南部商店街(紙屋町商店街)、協同組合西大寺町商店会(西大寺町商店街)、新西大寺町商店街協同組合(新西大寺町商店街)、岡山千日前商店街協同組合(千日前商店街)がある。これら8組合の連合体として、協同組合連合会岡山市・表町商店街連盟が組織され、表町商店街共通のイベントや企画が行われている。
小・中学校の学区

公立中学校に通学する場合、学区は次のように指定されている[4]

区域小学校中学校
表町一丁目岡山中央小学校岡山中央中学校
表町二丁目
表町三丁目

歴史
近世岡山城の縄張り。現在の表町商店街はおおむね三之曲輪の位置に該当する。金馬館と天瀬可真町(現在の千日前)の町(1926年頃撮影)

岡山市の都市としての歴史は、宇喜多直家戦国時代末期にこの地に本拠を移して岡山城と城下町の建設に着手したことに始まるが、世情が不安定であったことから城下町建設はそれほど進まなかった[5]。直家の子の秀家は岡山城とその城下町を本格的に整備し、岡山の北を通っていた山陽道を城下町を通るように付け替え、備前国内から商人・職人を集めて住まわせ、この時に形成された商人町が岡山表町商店街の起源となっている[5]。「上之町」、「紙屋町」、「西大寺町」などの町名はこの頃成立したとみられ、下之町と紙屋町には本陣が置かれた[5]。なお、岡山城の築城当初は「福岡上之町」のように各町は「福岡」の名を冠していた[3]
第二次大戦前

1891年明治24年)3月山陽鉄道岡山まで開業すると、京橋を中心に発達していた舟運が廃れたことにより橋のたもとの橋本町の地位が低下し、代わりに鉄道に近い上之町・中之町・下之町に商業の集積が進むようになった[5]1912年(明治45年)には岡山電気軌道路面電車が開通し、商圏は岡山郊外の郡部にまで拡大した[5]

1903年(明治36年)には、上之町、中之町、下之町、栄町、紙屋町、西大寺町、新西大寺町、橋本町の8つの町の合同により「振商会」が結成され「表八カ町」という呼称が誕生した[5]。当初「表八カ町」には橋本町が加わっていたが、第二次世界大戦後に橋本町に代わって千日前が加わった[5]

表町商店街の最南部に位置する千日前商店街は江戸時代には天瀬可真町と呼ばれる侍屋敷がある地域で、明治時代には料理屋などがあったが橋本町に近い割には淋しい場所だった[1][5]。しかし、1912年(明治45年)1月の帝国館(のちの岡山松竹2006年閉館)を皮切りに、1919年(大正8年)に金馬館、1926年(大正15年)に若玉館(のちのテアトル岡山、2000年閉館)、1938年(昭和13年)に文化ニュース劇場(のちのSY松竹文化、2005年閉館)が開業し、これらの映画館の開業に伴って飲食店も増え、大阪千日前商店街の名をとって「千日前」と呼ばれるようになった[1][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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