岡山臨港鉄道
[Wikipedia|▼Menu]

岡山臨港鉄道株式会社
種類株式会社
本社所在地 日本
岡山県岡山市海岸通2丁目1-16[1]
設立1951年(昭和26年)4月2日[1]
業種陸運業
事業内容鉄道事業、倉庫業、石油製品販売業 他[1]
代表者社長 岡崎平夫[1]
資本金98,000,000円[1]
発行済株式総数196,000株[1]
特記事項:1982年(昭和57年)3月31日現在[1]
テンプレートを表示

岡山臨港鉄道(おかやまりんこうてつどう)は、かつて岡山県岡山市大元駅岡山港駅を結んでいた鉄道路線。岡山臨海鉄道(おかやまりんかいてつどう)とも呼ばれていた[2]1951年(昭和26年)8月1日に鉄道運輸事業を開始し、1984年(昭和59年)12月30日に廃止された。
概要

太平洋戦争末期、国有地であった干拓前の旧堤防を活用して宇野線岡南地区の軍需工場を結ぶ鉄道線が着工された。本来は専用鉄道規程に基づく専用鉄道(延長3キロ以上の専用線)であるものの、官庁手続きが簡便な側線と見なすことで着工を迅速化する戦時特例の特殊専用側線制度が利用された。工事は終戦で中断し一時放置されたが、岡南地区にあった汽車製造岡山製作所の資材・製品車両搬出用として工事を再開し、1947年(昭和22年)に開通。国鉄広島鉄道局岡山管理部が運行管理を所管し、岡山駅から国鉄の客車列車が1日1往復した。

1950年(昭和25年)、岡山製作所を閉鎖し専用線の運行を取りやめることになった汽車製造は、同年11月17日に同線の地方鉄道免許を取得。翌1951年(昭和26年)4月1日、汽車製造などの沿線企業と岡山県、岡山市を株主とする岡山臨港鉄道株式会社が設立され、同年8月1日から運行を始めた。

開業当初は機械式ディーゼル機関車1両、タンク式蒸気機関車1両、国鉄払い下げ気動車(旧中国鉄道買収車)2両、貨車2両の合わせて6両が在籍。開業翌年の1952年度には工場通勤者を中心に年間65万4000人が利用した。さらに高度成長期には沿線が急激に都市化したことで、開業時と逆に沿線から岡山市街地に向かう通勤通学客の足となった。自転車利用の多い土地柄を反映し、岡山市中心部の南端にあたる大元駅から自転車で市街地の勤務先や学校に向かう需要が多かったため、車内への自転車持ち込みを認めて「自転車券」を発行した。

1968年度には、貨物輸送実績が最高の年間29万2000トンに達したものの、旅客輸送実績は沿線のバス路線拡充のあおりを受けて40万人を割り込んだ。その後も旅客輸送の落ち込みに歯止めがかからなかったため、1973年(昭和48年)には旅客列車を朝晩のみの1日4往復に大削減し、岡南元町 - 岡山港間の旅客列車運行も廃止した。岡山芳泉高校の開校(1974年)を受けて1975年(昭和50年)に12往復まで一時増やしたものの、1978年(昭和53年)に再び削減。さらに1970年代後半から貨物輸送実績も年間数万トン程度にまで減少したことから、会社は倉庫業、石油製品販売業、不動産業などの他業種に進出して経営を多角化し、1979年度には年間売上高に占める鉄道事業の割合は36%にまで縮小した。

1983年(昭和58年)、岡山市が策定した「岡山市交通基本計画」の原案に「岡山電気軌道の路面電車との相互乗り入れ」案が挙げられ、鉄道事業の存続を図る動きもあったが、非現実的として本計画への盛り込みは見送られた[3]。また会社側は国鉄に対し、宇野線岡山 - 大元間の乗り入れ運転を求めていたが、実現しなかった。

貨物ヤード方式を廃止し、全国の貨物取扱駅を半減した1984年(昭和59年)2月1日国鉄ダイヤ改正の影響で鉄道の存続が困難になり、同年12月29日を最後に列車運行を休止。翌12月30日付で廃止された。開業から廃止までの34年間の累計輸送実績は貨物564万トン、旅客1,262万人だった。



歴史
開業以前

太平洋戦争中に倉敷絹織(現・クラレ)が岡南地区で工場の操業をはじめ、物資や従業員の輸送が必要になったため、特殊専用側線制度を利用して宇野線から工場に通じる側線の敷設をはじめた。

1944年(昭和19年) 戦時中、岡南地区にある工場を結ぶ側線の工事がはじまるが途中で中断。

戦後、汽車製造岡山製作所の専用線として工事を再開。

1947年(昭和22年)2月 大元 - 沖福島間が完成し、国鉄車両による貨物輸送開始。

鉄道営業時代

路線を利用していた汽車製造岡山製作所が閉鎖されたのに伴い、同社などの沿線企業と岡山県、岡山市などが出資して、路線の運営を継承する岡山臨港鐵道株式会社が設立された。

1951年(昭和26年)

4月2日 岡山臨港鐵道株式会社を設立。

8月1日 臨港線が開業。大元 - 岡山港間の旅客運転を開始。


1973年(昭和48年)1月1日 旅客列車本数を朝晩の1日4往復に大削減。岡南元町 - 岡山港間の旅客列車を廃止し同区間は貨物専用線となった。旅客運転は大元 - 岡南元町 6.6km に縮小。

1975年(昭和50年)8月 岡山芳泉高校の通学輸送のため旅客列車本数を1日12往復に拡充。

1983年(昭和58年) 旅客輸送が開業時の3分の1以下の19万人程度にまで落ち込んだ。

1984年(昭和59年)

2月1日 国鉄のダイヤ改正で貨物ヤード方式の一般貨物列車を廃止。臨港線内の貨物輸送量も激減。

12月29日 列車の運行を終了。

12月30日 鉄道事業を廃止。


鉄道廃止後

路線跡地の大部分が岡山市に無償譲渡され、大元 - 岡南泉田間は遊歩道に、 岡南泉田 - 岡南福田間は市道に転用。岡南福田以南は宅地などに転用されている。

1990年代 JR大元駅一帯の立体化工事が行われ、同駅に残っていた岡山臨港鉄道の痕跡は完全に消滅した。

2001年(平成13年) 商号を株式会社岡山臨港に変更。

2004年(平成16年) 岡山県および岡山市が出資を引き揚げ、株式がクラレ同和鉱業大建工業の3社に譲渡されて純民間企業となる。

路線

岡山臨港鉄道線
大元駅で停車中のキハ7002(元夕張鉄道キハ253
概要
現況廃止
起終点起点:大元駅
終点:岡山港駅
駅数10駅
運営
開業1947年 (1947)(専用線として)
地方鉄道開業1951年8月1日
廃止1984年12月30日 (1984-12-30)
所有者岡山臨港鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長8.1 km (5.0 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径200 m (660 ft)
電化全線非電化
最急勾配3
テンプレートを表示

停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例


国鉄宇野線


0.0大元駅




国鉄:宇野線


1.445岡南新保駅


泉田倉庫駅



次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef