岡山県立玉野高等学校
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岡山県立玉野高等学校
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国公私立の別公立学校
設置者岡山県
併合学校岡山県立玉野第一高等学校
岡山県立玉野第二高等学校
設立年月日1939年
共学・別学男女共学
課程全日制課程
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードD133210000196
高校コード33121A
所在地706-8555
岡山県玉野市築港3丁目11番1号
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岡山県立玉野高等学校(おかやまけんりつたまのこうとうがっこう, Okayama Prefectural Tamano High School)は、岡山県玉野市にある県立高等学校。通称「玉高(たまこう)」
概要
歴史
1939年昭和14年)創立の「岡山県日比高等女学校」と1941年(昭和16年)創立の「岡山県玉野中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)に両校とも新制高等学校となり、翌1949年(昭和24年)8月に統合され、男女共学を開始した。高等女学校の創立が早いため、1939年(昭和14年)を玉野高等学校の創立年としており、2019年(平成31年、令和元年)に創立80周年を迎える。隣接する香川県直島町からの越県入学を1973年以降受け入れている。
設置課程・学科
全日制課程 普通科

文系I類(通称:文T)
文系科目を中心として学習し国公立大学文系学部・難関私大を目指す。この為2年生より授業時間が増え週34時間となる。

文系U類(通称:文U)
文系T類と同様に文系科目を中心として学習し生徒自身の希望や興味に併せた幅広い進路の選択を可能とする。 主に私立大学・短大・専門学校への進学を目指す。

理系
理系科目を中心として学習し国公立大学理系学部・難関私大を目指す。授業時間については文系T類同様に週34時間となっている。
校歌
作詞は永瀬清子、作曲は高田信一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「玉野高校」が登場する。
沿革
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代


1941年(昭和16年)4月1日 - 「岡山県玉野中学校」(旧制中学校)が開校。

尋常小学校(同年より国民学校初等科に改称)を卒業した12歳以上の男子を対象とし、修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。


1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。

1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。

1945年(昭和20年)

3月 - 修業年限4年の施行が前倒しされ、中等教育令施行以前に入学した学生にも修業年限4年(1年短縮)が適用される。

1940年(昭和15年)4月入学の5年生と1941年(昭和16年)4月入学の4年生の合同卒業式を挙行。


4月 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。

8月 - 終戦。

9月 - 授業を再開。


1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年に戻る(4年修了時点で卒業することもできた)。

1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。

旧制中学校の募集を停止。

新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を併設中学2・3年生として収容。

併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみの中学校であった。

旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。


1948年(昭和23年)

4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により旧制中学校は廃止され、新制高等学校「岡山県立玉野高等学校」(男子校)が発足。

旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。

併設中学校は新制高校に継承され(名称:岡山県立玉野高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。


10月1日 - 「岡山県立玉野第一高等学校」に改称。


1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。

高等女学校・新制高等学校(女子校)時代


1939年(昭和14年)4月1日 - 「岡山県日比高等女学校」が開校。

1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。

1945年(昭和20年)

4月 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。

8月 - 終戦。

9月 - 授業を再開。


1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。

高等女学校の募集を停止。

新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を併設中学2・3年生として収容。

併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみの中学校であった。

高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。


1948年(昭和23年)

4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により高等女学校は廃止され、新制高等学校「岡山県立日比高等学校」(女子校)が発足。

高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。

併設中学校は新制高校に継承され(名称:岡山県立日比高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。



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