岡地駅_(遠州鉄道)
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岡地駅
おかじ
Okaji

金指 (1.4 km) (0.7 km) 気賀口

所在地静岡県引佐郡細江町中川(現・浜松市浜名区細江町中川).mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度48分46.0秒 東経137度39分57.0秒 / 北緯34.812778度 東経137.665833度 / 34.812778; 137.665833座標: 北緯34度48分46.0秒 東経137度39分57.0秒 / 北緯34.812778度 東経137.665833度 / 34.812778; 137.665833
所属事業者遠州鉄道
所属路線奥山線
キロ程17.3 km(遠鉄浜松起点)
駅構造地上駅
ホーム1面1線
開業年月日1915年大正4年)12月28日
廃止年月日1964年昭和39年)11月1日
備考奥山線廃線に伴い廃駅
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岡地駅(おかじえき)は、静岡県引佐郡細江町中川(開業時は旧・引佐郡中川村中川、現・浜松市浜名区細江町中川)にあった遠州鉄道奥山線廃駅)である。奥山線の廃線に伴い1964年昭和39年)11月1日に廃駅となった。
歴史

1915年大正4年)12月28日:浜松鉄道金指駅 - 気賀駅(後の気賀口駅)間延伸開通に伴い開業[1][2][3]

1940年代前半:戦時体制に伴い休止駅となる[2][3](あるいは廃止[1])。

1947年昭和22年)5月1日:浜松鉄道が遠州鉄道と合併。それに伴い遠州鉄道奥山線の駅となる(休止(廃止)中)[1]

1954年(昭和29年)10月1日:営業再開[1][2][3]

1964年(昭和39年)11月1日:奥山線の廃線に伴い廃止となる[1][2][3]

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[4]。ホームは線路の北側(奥山方面に向かって右手側)に存在した[4]転轍機を持たない棒線駅となっていた[4]

列車交換設備を有さない無人駅となっていた[5]。ホームは奥山方に階段を有し[4]駅施設外に連絡していた。

日本国有鉄道二俣線との並走区間にあり、奥山線の線路のすぐ南を二俣線の線路が通っていた[4]が、そちらにはホームなどは無かった[4]
駅周辺

当線廃止後の1987年(昭和62年)3月15日に、当駅跡附近に天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線気賀高校前駅(現・岡地駅)が開業した。

国道362号

静岡県立気賀高等学校(2015年に静岡県立浜松湖北高等学校として統合される形で閉校)

都田川

駅跡

2007年平成19年)8月時点では、石積みのホーム擁壁が残存し[5][6]、附近の民家が使用中であった[6]

また、当駅跡附近の線路跡は、2007年(平成19年)8月時点では生活道路になっていた[6]。気賀高校附近から気賀口駅跡附近までは国道362号に転用されている模様であった[6]
隣の駅
遠州鉄道
奥山線
金指駅 - 岡地駅 - 気賀口駅
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)216ページより。
^ a b c d 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 7 東海』(監修:今尾恵介新潮社2008年11月発行)35ページより。
^ a b c d 書籍『新 消えた轍 6 中部』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年5月発行)71ページより。
^ a b c d e f 書籍『全国軽便鉄道』(著:岡本憲之、JTBパブリッシング、1999年4月発行)101ページより。


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