山野 愛子
1950年代
生誕1909年1月20日
日本・東京市、向島
死没 (1995-07-31) 1995年7月31日(86歳没)
墓地高徳寺 (中野区)
職業美容師
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山野愛子(やまの あいこ、1909年1月20日 - 1995年7月31日)は、日本の美容師。東京・向島出身。 実家は東京・向島で洋食食堂を経営していたが、父親は愛人のもとに入りびたり。そんな父の姿に、母親はことあるごとに、「これからは女も自立する時代」と説いていた。 生涯をヤマノグループ創始者として、日本美容界のパイオニアとして献身した。ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの審査員も務めた。
人物
親族
夫・山野治一(じいち)は逓信省(郵政省、現:日本郵政株式会社)勤務。
次男に山野凱章(美容用品綜合商社株式会社ヤマノ元取締役,2007年死去)。凱章と前妻・マダム路子の間に二男(品川一治・品川祐)・二女がある。
長男の娘の一人が後継者となった山野愛子ジェーンである。
略歴
関東大震災の女性被災者のみすぼらしい姿をみて、美容の大切さを痛感する。
1925年、山野結髪所を開業。日本初のパーマ指導技術者でもあり、日本にパーマ技術を普及させた。
1934年、東京・中野に山野美容講習所(現在の山野美容専門学校)を開設。
1954年、日本美容師総連合会会長に就任。
1961年、ロサンゼルスにヤマノ・ビューティカレッジを開設、校長に就任。
1967年、藍綬褒章を受章。
1977年、8月3日を「ハサミの日」とすることを提唱。以後毎年8月3日に東京・増上寺で「ハサミ供養」が行われている。
1980年、勲三等瑞宝章を受章。
1984年、2代目として山野愛子ジェーンに継がせる。
1992年、山野美容芸術短期大学を設立し、初代学長に就任。
1995年、死去。享年86。
2006年、日本テレビ系列「火曜ドラマゴールド」で自伝番組『伝説の美容師 山野愛子物語』放送(主演:水野真紀)。
主な著書親族・弟子の著書も含む
『愛チャンはいつも本日誕生』「女の自叙伝」婦人画報社、1985年
和装関係
『山野流 美しい着装のすべて』 主婦と生活社、1973年
『山野愛子のきもの着つけ入門』 主婦の友社、1972年
『山野愛子の帯結び入門』 主婦の友社、1982年
『山野愛子の着装と帯むすび : 婚礼衣装からおしゃれ着まで ヘア・メイク・装いのトータルビューティーブック』婦人画報社、1985年11月1日。NDLJP:12107629
美容関係
『山野愛子のベスト・ロングヘア : 日本髪から現代のヘア&メイクまで ヘア・メイク・装いのトータルビューティーブック』婦人画報社、1985年11月1日。NDLJP:12105396
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