山路主住
[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年10月)

山路 主住(やまじ ぬしずみ、宝永元年(1704年) - 安永元年12月11日1773年1月3日))は、江戸時代中期の和算家天文学者本姓平氏幼名は久次郎。字は君樹。弥左衛門と称し、連貝軒と号した。

中根元圭松永良弼久留島喜内らに関流和算を学んだ。関流三伝。師の中根が徳川吉宗の側近として西暦への改暦を目論んでいたこともあり、宝暦の改暦の際に天文方西川正休・渋川則休の手伝として上京している。しかし改暦で西洋暦は取り上げられず、結果として宝暦暦貞享暦の改変に留まった。

明和元年(1764年)には天文方に任じられた。改暦後も息子の山路之徽仙台藩の門人の戸板保佑らと共に西洋暦を研究し、崇禎暦書による西洋暦を完成させている。この暦は天文方の山路家・吉田家などで検証された。寛政の改暦では、麻田剛立らによる暦象考成後編による西洋暦の方が優れていたため、これも採用されなかった。

また関流の和算を集大成し、免許制度を確立するなど、関流和算を広く普及させる基盤を作り上げ、藤田貞資安島直円有馬頼?・松永貞辰・船山輔之・石井雅穎など、関流の発展に大きな影響を及ぼした門人を多く輩出している。

数学の業績にはあまり独創的なものはないが、循環小数の研究は有名である。
関連項目

安島直円

典拠管理

WorldCat Identities

ISNI: ⇒0000 0000 8228 2005

NDL: 00275646

VIAF: 49154270

この項目は、天文学天文学者を含む)や地球以外の天体に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますプロジェクト:天体Portal:天文学)。

この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますプロジェクト:人物伝Portal:自然科学)。


更新日時:2018年5月2日(水)03:40
取得日時:2019/01/12 12:49


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:5677 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef