中華民国 山西省
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山西省(さんせいしょう)は、かつて中華民国に存在した省。 管轄区域は現在の中華人民共和国山西省にほぼ相当するが、黄河以北は現在の内モンゴル自治区、高陽県南東部が現在の河南省の行政区画となっている。 東は河北省、西は陝西省、南は河南省、北は綏寧省と接していた。 1911年(宣統3年)10月10日、武昌起義により辛亥革命が勃発すると10月29日、太原新軍は決起、太原軍政府を組織した。また12月31日には運城で河東軍政府が成立したが翌年4月4日、1912年(民国元年)1月には大同軍政府が成立したが、同月15日にそれぞれ崩壊している。 1927年(民国16年)6月、晋綏陸軍総司令であった閻錫山は国民革命軍を組織、既存の山西省長公署を解体し山西省政府を組織した。1949年(民国38年)4月24日、中国共産党・人民解放軍により太原が「解放」され、中華民国(中国国民党政府)はその実効支配を喪失した。 1947年(民国36年)5月以前は陽曲県に、それ以降は太原市に設置された。 民初は清代の道が廃止されたが、1913年(民国2年)3月に中路道、北路道、河東道、帰綏道観察使が設置された。1914年(民国3年)5月、全省に冀寧道、雁門道、河東道の3道が設置された。1927年(民国16年)に道制は廃止された。 中華人民共和国成立直前の管轄行政区画は下記の1市105県。(50音順)
地理
行政沿革
省会
行政区画
道制
冀寧道
雁門道
河東道
県級行政区画
市
太原市
県
安沢県:清代の岳陽県。1914年1月改称。
安邑県
猗氏県
盂県
右玉県
栄河県
永済県
永和県
垣曲県
応県
夏県
解県
介休県
懐仁県
河曲県
霍県
河津県
?嵐県
祁県
吉県
郷寧県
曲沃県
忻県
虞郷県
興県
絳県
?県
孝義県
交城県
洪洞県
高平県
壷関県
広霊県
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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