山西 哲郎(やまにし てつろう、1943年 - )は、日本のランニング学者。市民ランナーの指導者。立正大学社会福祉学部教授。東京教育大学大学院体育学研究科修士課程修了。日本オリエンテーリング協会名誉会長、日本体育学会前会長、ランニング学会元会長、NPO法人日本市民スポーツ海外交流協会副理事長。鳥取県出身。2023年、瑞宝中綬章受章[1][2]。
来歴・人物
1943年 兵庫県神戸市にて出生。
1945年 鳥取県鳥取市に転居。
1962年 東京教育大学体育学部入学。
1968年 同大学院体育学研究科修士課程修了。同年より同大学体育学部助手。
1973年 群馬大学教育学部保健体育講座講師。
1978年 同大学助教授に就任。
1993年 同大学教授に就任。
1999年 同大学教育学部附属養護学校校長を兼任。
2009年 立正大学社会福祉学部教授に就任。
現在に至る。現在では、市民ランナーの指導者として、自然とともに走る喜びを全国に広める活動を展開しつつ、日本オリエンテーリング協会の名誉会長としてオリエンテーリングの普及・振興に努めている。
群馬大学教育学部で陸上競技やスポーツ運動学の講義、実技を担当。大学周辺の自然を活用した授業は、たびたび地元紙でも取り上げられている。
その風貌から、「荒牧原人」という愛称がある(荒牧は群馬大学教育学部の所在地である前橋市荒牧町のこと)
現在、立正大学で学生教育の傍ら、NPOベアリスランニングクラブを創設、理事長となり、ランニングやスポーツの普及、社会交流を図り、全国的な規模の大会を開催
各地でランニングやウォーキングなどの講習会を開き、1970年代に国内最初のランニングブームが起こると注目を集めた。
鳥取砂丘沿いにある民宿を拠点に自然体験塾を開いていた。ランニングや遠泳、カヌー、野菜の栽培など、文字通り鳥取の自然を体験する塾だったが、1997年に閉じられた
マラニック運動によって、ランニングによるランニングが自然と人間社会の融合によって、さらに豊かなランニング文化になるように全国各地で展開
自然流ランニング大学を開設、ランニング教育研究を市民レベルで自立したランナーを津育成する
ランニングの世界友の会を雑誌『ランニングの世界』の出版をもとに立ち上げランニング運動を展開する。
東京教育大学在学中は箱根駅伝に2回出場している。第41回大会[3]では第7区(区間11位)、第42回大会[4]では第10区(区間15位)を担当した。
著書
単著
『走れ!!―健康をつくるランニング』 成美堂出版、1975年
『四季のランニング』不昧堂出版