山背国造・山代国造(やましろのくにのみやつこ・やましろこくぞう)は山城国南西部を支配した国造。目次 山背国造と山代国造、山城国造の三通りの表記がある。 山代氏(やましろうじ、姓は直)。天武天皇12年(683年)に連に、14年に忌寸に昇格した。一部の者は天長10年(833年)に宿禰を賜っている。同氏には魯の白竜王を祖とする渡来系氏族や、火明命を祖とする別系もある。 山背国造の他に、凡河内国造や菅田神社 国造の支配領域は当時山背国と呼ばれた地域、後の山城国西部。現在の京都府南部。北部に山氏は摂津国河辺郡為奈郷に居住した。 天目一箇命(=天之御影命の別名で天津彦根命の一人息子)[1][3][4]。 嫡流以外、天之御影命を家祖として名乗ることが許されなかったため、別名を用いている。 天照大御神
1 概要
1.1 祖先
1.2 氏族
2 本拠
2.1 支配領域
3 氏神
4 人物
5 系譜
6 脚注
7 関連項目
8 参考文献
概要
祖先
『先代旧事本紀』「国造本紀」において、神武天皇功臣への行賞記事に天目一命を山代国造に任命したと記される。
同書には神武朝に阿多根命を山城国造に、成務朝に曽能振命を山背国造に任命したとされる。
神武朝と成務朝における二回設置の重複記事の実態は、山城国造が神武朝の当初はある程度の広域の首長で県造・県主の名で始まった職であり、成務朝になって国造という名称に変化したものであったと見られる[2]。
阿多根命の祖は天津彦根命と天之御影命(山背国造では天目一箇命と称する)[1][3][4]で、天照国照彦火明櫛玉饒速日命[5]に随伴して、32神で天孫降臨した際、天之御影命は近江国野洲郡三上郷の三上山(旧称・御影山)の山頂に降臨したとされる。
氏族
本拠
支配領域
氏神
人物
山背根子命神功皇后摂政期の国造。神功皇后の命で広田神社を祀った葉山媛と長田神社を祀った長媛の父。
系譜
天津彦根命天之菩卑能命
(出雲国造、武蔵国造等の祖)天之忍穂耳命
(皇室の祖)
天目一箇命比売許曽命
(天之日矛妻)
意冨伊我都命
阿多根命
(神武朝山背国造)彦伊賀津命
(三上氏等の祖)彦己曽根命
(凡河内国造の祖)
知久流美命 (以降歴代不明)
苫麻杵命
(櫛麻杵命)
伊加利乃命
長溝命
(山代県主祖長溝)
大国不避命
(大国不遅、大国之淵)眞木毘売命
(伊香色雄命妻)荒毘売命
(伊香色雄命妻) 玉手毘売命
(伊香色雄命妻) 荏名津比売命
(彦坐王妻)
曽能振命
(山背国造)苅幡戸弁
(垂仁天皇妃)弟苅幡戸弁
(垂徳天皇妃)
山代根子命
(山代直祖)
稲鋤毘古直葉山媛長媛
長牟手乃直蘇祢古乃直
(広田神社祝部祖)
取石石床乃直
底波古乙名子姫
(物忌)小猪乃直
古牟自 久志古
那美古 麻佐
布目 羽鳥
山足国万呂冨自古
脚注^ a b c d 御上神社沿革考(国立国会図書館デジタルコレクション)参照
^ 宝賀寿男「三 大和王権の出雲侵攻と吉備氏」『古代氏族の研究H 吉備氏 桃太郎伝承をもつ地方大族』青垣出版、2016年、76頁。
^ a b 御上祝家系図(三上氏)(コマ番号84-97)/諸系譜. 第28冊 - 国立国会図書館デジタルコレクション
^ a b 天津彦根命庶流 三枝部造 甲斐野呂氏後裔 輿石氏家系図(コマ番号84-92) /諸系譜. 第6冊 - 国立国会図書館デジタルコレクション
^ 天火明命と饒速日命は、同一神と言われている。
関連項目
国造の一覧