山羊の頭のスープ
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『山羊の頭のスープ』
ローリング・ストーンズスタジオ・アルバム
リリース1973年8月31日 (1973-08-31)
録音1970年10月17日 ? 31日 (1970-10-17 ? 1970-10-31)
1972年11月25日 ? 12月21日 (1972-11-25 ? 1972-12-21)
1973年1月16日 ? 18日 (1973-01-16 ? 1973-01-18)、5月23日 - 6月20日
ジャンルロック
ブルースロック
ファンク
ニュー・ソウル
時間46分56秒
レーベルRolling Stones
Atlantic(オリジナル盤)
EMICBS UKVirginPolydor(リイシュー盤)
Atlantic(オリジナル盤)
Columbia→Virgin→Interscope(リイシュー盤)
ワーナー・パイオニア(オリジナル盤)
東芝EMICBS/SONY→Sony RecordsEMIJ/Virgin→Universal Int'l(リイシュー盤)
プロデュースジミー・ミラー
専門評論家によるレビュー


Allmusic link

チャート最高順位

ヒットチャートを参照

ローリング・ストーンズ アルバム 年表

メイン・ストリートのならず者
1972年)山羊の頭のスープ
1973年イッツ・オンリー・ロックン・ロール
1974年

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『山羊の頭のスープ』(やぎのあたまのスープ、Goats Head Soup)は、ローリング・ストーンズ1973年に発表したオリジナル・アルバム。全英、全米共に第1位を記録[1][2]
概要

本作は、ボブ・マーリーの成功によるレゲエ・ミュージックの台頭に影響されるかたちでジャマイカで制作され、異国情緒のあるグループの新たな側面を見せた作品である。だが、本作ではレゲエからの影響を感じさせる曲は見当たらず、むしろファンクニュー・ソウルからの影響が色濃く出ている[3]。サウンド面では、ギターを中心とした未加工で生々しく、ラフでルーズと評された前作『メイン・ストリートのならず者』とは対照的に、本作では鍵盤楽器を中心に、またエフェクトを多用した緻密で混沌とした音造りとなっている[4]1971年の『スティッキー・フィンガーズ』から3作連続で全英、全米両チャートで1位を記録するヒット作となった。本作からは「悲しみのアンジー」、そして「ドゥー・ドゥー・ドゥー…(ハートブレイカー)」がシングルカットされ、特に前者は全米チャートで1位となる大ヒットを記録した[5]。また1968年以降、ストーンズの全作品のプロデューサーを務めてきたジミー・ミラーが参加した最後の作品でもある。

ジャケット写真は極薄地の布を顔にかぶったミック・ジャガーを写したものであり、撮影とデザインはデヴィッド・ベイリーが担当した。内袋には各曲のクレジットとゲスト・ミュージシャンの写真が印刷された。また題名通りに、大きな釜に入ったスープに野菜と共に浸された山羊の頭の写真も封入されているが、これは動物愛護協会からの抗議を受けた[6]

本作では「悲しみのアンジー」、「ダンシング・ウィズ・ミスターD」、「シルヴァー・トレイン」の3曲でプロモーションビデオが制作されており、いずれもYouTubeのストーンズ公式チャンネルで試聴可能である。
経緯

1972年7月に北米ツアーを終えたバンドは暫しの休暇をとった後、新作の録音のためジャマイカに渡った。そしてキングストンのダイナミック・サウンド・スタジオにて11月25日からレコーディングを開始し、ゲストにはニッキー・ホプキンスボビー・キーズビリー・プレストンといった常連組を迎えた。本作でのプレストンはそれまでのようにオルガンではなくクラビネットを演奏している。この他、現地のパーカッション奏者のパスカル、リボップが招かれ、本作のサウンド・メイキングに大きく貢献した[4]。またこのセッション中、日本の音楽誌「ミュージック・ライフ」の取材班がストーンズから招待され、作業の様子を取材している。これは翌年に控えていた初の日本公演に向けた宣伝の意味合いもあった[7]。しかし、この日本公演はジャガーが過去の麻薬所持による逮捕を理由に入国を拒否されたことにより、中止となってしまう。尚、発売当時の日本での広告には「本年初頭の来日公演中止の飢えを、ファンはまちがいなくいやされるであろう」と書かれていた[8]。キングストンでの作業は12月21日に僅か1ヶ月足らずで終了したが[4]、20曲以上もの素材が集まった[9]

翌1973年1月から2月27日までハワイ及びオセアニアツアーを敢行したバンドは、再び長期休暇をとった後5月28日から仕上げのためにロンドンのアイランド・スタジオでオーバーダブとミキシングを行った[4]。途中、アンディ・ジョンズが病気で倒れ、ジミー・ミラーも体調不良のため本作の完成直前に離脱してしまうが[9]、バンドは6月に全ての作業を完了し、本作を無事8月31日に発売した[4]

発売直後の9月から、バンドはヨーロッパ・ツアーをシュタットハレでのウィーン公演から開始する。同ツアーは同年10月19日のドイッチェラントハレでの西ベルリン公演で終了した。本作からは「スター・スター」「ダンシング・ウィズ・ミスターD」「悲しみのアンジー」などが演奏された。このヨーロッパ・ツアーでは、ミック・テイラーは本編のステージだけでなく、オープニングアクトを務めたビリー・プレストンのステージにも参加している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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