山田雅人
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この項目では、お笑い芸人について記述しています。ドラマーの同名の人物については「山田雅人 (ドラマー)」をご覧ください。
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出典検索?: "山田雅人" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年12月)

山田 雅人
本名山田 雅人
生年月日 (1961-01-22) 1961年1月22日(63歳)
出身地 日本大阪府大阪市大正区
血液型O型
身長174cm
言語日本語
方言大阪弁
最終学歴大阪学院大学商学部
師匠若井はやと
芸風漫談、「かたり」
事務所松竹芸能
山田企画(個人事務所)
活動時期1983年 -
現在の代表番組ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です
過去の代表番組

ざまぁKANKAN!

上岡龍太郎にはダマされないぞ!

ぽっかぽか

渡る世間は鬼ばかり

他の活動テレビドラマバラエティスポーツ競馬中継
配偶者あり
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山田 雅人(やまだ まさと、1961年1月22日[1][2][3] - )は、日本お笑い芸人俳優大阪府大阪市大正区出身[2][4]。既婚。スポーツ選手などの伝記を、徹底した取材と独特の語り口で組み立てる「かたり」という独自の芸をライフワークとしている[5][6]
経歴

生家は、山田の出生時には溶接工場[7]を、のちにアパートを経営。山田は次男。大阪学院大学高等学校を経て大阪学院大学商学部卒業。

父に競馬場に連れられるうちに競馬騎手を目指すようになるが、身長が伸びすぎたため断念し、南こうせつに憧れて16歳で歌と作曲(フォークソング)を始め、シンガーソングライターとしてライブ活動を開始した。若手ミュージシャンが曜日替わりでレギュラーライブを行っていた大阪・桃谷のライブハウス「BEE HOUSE」[4]で、山田は木曜のプログラムを担当し、火曜担当の河島英五や水曜担当の木村充揮としのぎを削った。この頃は梅田の「青い鳥」や堂山町の「あうん」でも舞台に上がり、ライブだけで食べていたという。「無名の僕なんかは、笑かさないと歌を聞いてくれなかった[4]」ため、山田は曲間のMCの話芸を磨き、架空の競馬実況などの芸を完成させた。「本気でプロを目指していて、東京に行って音楽で成功しようと決めていた[8]」ため、家業を継がず、19歳で家を出る。

会社[1]に勤めながら音楽活動をしていた1983年[2]、ライブハウスで山田のMCを聞いた松竹芸能の社員にタレントとしてスカウトされ[8]、「10年経って有名になったら歌を出させてあげる[4]」という条件を飲み(のちに日本クラウンからアルバム1枚・シングル3枚を出す。後述)、「第1回松竹芸能タレントオーディション[1]」合格者として同社と契約し、若井はやとに弟子入り(森脇健児は同門)。翌年、『あどりぶランド』(MBSテレビ)でテレビデビュー[1]したほか、入所3か月で『鶴瓶と花の女子大生』(関西テレビ)のリポーターに起用される[8]。翌年、福井放送のラジオ番組[どれ?]を担当[9]

1986年、漫談家としてNHK新人演芸コンクールに出場(本選は1987年)[2]。同年、『おはよう朝日です』(朝日放送テレビ)の街頭ロケコーナー「オーイ! 山田くん」への出演でタレントとして知名度が向上する。1988年、夕方の若者向けバラエティ番組『ざまぁKANKAN!』(よみうりテレビ)の司会に、森脇健児とともに抜擢される。この番組の成功により、全国区に進出する足がかりを掴んだ。

俳優に転向するため、34歳のときに松竹を円満退社し、上京[8]。テレビドラマ『ぽっかぽか』『渡る世間は鬼ばかり』(いずれもTBS系列)などに出演した。

前述の競馬をはじめとするスポーツに関する雑学が豊富で、それらを物語調に語る芸を楽屋話として行っていたが、高田文夫の助言を受け、一人語りの舞台芸「かたり」として昇華し、2009年から「かたりの世界」と題する舞台公演を定期的に行っている[10][5]
人物・エピソード

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2021年1月)


既婚、1女あり。娘の名前、桃江は桜花賞からつけた[11]

母親は伊方町出身。2023年12月10日に同町で開催された「人権フェスタ2023いかた」での講演内にて、そのことに触れた。

ミュージシャン時代に多くのオーディションを受け、落選した。

オーディション番組『スター誕生!』では、「北国の春」を歌うも出演を逃す。

ABCヤングリクエスト』の公開オーディションでは、キダ・タローから「もっと勉強しなさい」と言われる。

CBSソニーのオーディションで4位に入賞し、賞品として松田聖子のベストアルバムをもらった。

ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)の関西・四国大会に出場経験がある[4]


2006年春、TBSの『オールスター感謝祭』に出場。地道に得点を重ね総合優勝を果たした。

2006年3月27日放送『関口宏の東京フレンドパークII』のスペシャル版では、『渡る世間は鬼ばかり』チームのメンバーとして出演し、「ビッグチャレンジ」でダーツをスペシャル特別商品「満漢全席」の箇所に命中させた。

2006年4月からテレビ東京ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!」の、タレントが函館化学大学合格を目指して受験勉強に励むコーナー「芸能人こそ上武大へ行け!プロジェクト」に出演したことを機に、その後毎年城西大学に出願している[12][13]。2013年7月9日放送の『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)では、収入が売れている頃の10分の1の中、参考書代に月7000円、家庭教師代に月12万円、模試(5回)2万5千円を費やしながら7浪中であることや、仕事を理由にセンター試験を一部科目しか受験しない年もあった(当然失格となる)ことが明らかにされた。やがて南こうせつに諭され、受験を断念する。

競馬


競走馬ではテンポイントの大ファンであった。

競馬の架空実況を若い頃からの持ちネタとしている。

2000年に金沢競馬の重賞レース・百万石賞で、地元のテレビ局(石川テレビ)にゲストで呼ばれ、レースを実況したことがある。

笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演するたび、架空実況を披露することが恒例となっていた。


競馬漫画『みどりのマキバオー』のファンで、アニメ化決定の際、「観客役でもいいから出たい」と出演を志願し、競走馬役を射止めた。

馬好きと「かたり」の追求が高じ、「馬の気持ちを理解したくて」自宅にボニーを飼っていたことがある[10]

野球


大の阪神タイガースファンで、特に掛布雅之を崇拝し、掛布の新聞記事を集めたスクラップ帳を作成(タイトルは「ヒーローは君だ」)。掛布引退後にそのスクラップ帳を本人に見せたところ、後日掛布から、現役時代の泥がついたままのユニフォームを贈られた[10]

1991年3月28日に、オープン戦近鉄バファローズ対阪神(藤井寺球場)で始球式を務めたが、打席に立っていた阪神の1番打者・高橋慶彦死球を与えてしまった。翌年限りで高橋が引退したため、彼の古巣・広島東洋カープのファンから「引退に追い込んだのは山田雅人」と恨まれた。高橋本人は笑って許している。

交友


上岡龍太郎は山田について、「あんなあ、ほなやつ、はおらん」と芸人として絶賛していた。

朝日放送テレビの元アナウンサーでフリーアナウンサーの三代澤康司とは同学年かつ、番組で共演するほか、プライベートでも大の親友同士であり、ラジオ番組『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』で三代澤とともに「こうせつ市場」という漫才コンビを結成。2019年7月から定期的に有料のライブイベント「三代澤・山田の排水の陣 ?タイタンへの道?」を開催し、漫才を披露している。2019年11月には楽曲「青春が止まらない」を制作、山田は作曲を担当[注 1][14]し、のちに開催された番組イベントで披露された。番組上では2019年11月19日の放送で初披露となった(ソフトとしては未発売)。

現在の出演
ラジオ

ナイスゲーム?言葉で伝えるスポーツ名勝負(主に祝日に放送、
NHKラジオ第1

ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です朝日放送ラジオ、2017年10月3日 - ) - 火曜パートナー

山田雅人のナイタースペシャル プロ野球タイムトンネル(2011年5月から不定期、ニッポン放送NRNネット) - 雨傘番組


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