山田邦子
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本名が「山田邦子」の文筆家の「今井邦子」とは別人です。

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新高島平ファミリー名店街(2023年)
ニックネーム邦ちゃん
生年月日 (1960-06-13) 1960年6月13日(63歳)
出身地 日本東京都荒川区
血液型B型
身長168 cm
言語日本語
方言標準語
首都圏方言
最終学歴川村短期大学家政科(現:生活学科)
芸風漫談
物真似
コント
事務所フリー
太田プロダクション
→フリー
アスリート・マーケティング
活動時期1981年 -
同期笑福亭笑瓶
大木こだま・ひびき
ブッチャーブラザーズなど
過去の代表番組オレたちひょうきん族
いきなり!フライデーナイト
クイズ!年の差なんて
MOGITATE!バナナ大使
邦ちゃんのやまだかつてないテレビ
邦子と徹のあんたが主役
邦子がタッチ
おまかせ!山田商会
山田邦子のしあわせにしてよ
他の活動小説家
杵屋(きねや)勝之邦(かつのぶくに)(長唄杵勝会名取
沼津市観光大使[1][注釈 1]
帯広市観光大使
北海道陸別町友好町民の会親善大使
東京都青少年名誉健全育成協力員
宇都宮餃子伝道師
スター混声合唱団団長
山田町復興ふるさと大使
配偶者後藤史郎
受賞歴
1981年 全日本有線放送大賞 新人賞[2]
1982年 第10回 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1983年 第11回 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1983年 第3回 花王名人大賞 新人賞
1984年 第12回 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1985年 第13回 日本放送演芸大賞 敢闘賞
1989年 平成元年度 ゆうもあ大賞 大賞
1990年 第27回 ゴールデン・アロー賞 芸能賞
1990年 第13回 日本アカデミー賞 新人俳優賞
1992年 日本女性放送者懇談会賞[3]
2010年 日本釣用品工業会選定 ロイヤルアングラー賞 芸能部門
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山田 邦子
(やまだ くにこ)
ペンネーム山田 邦子
(やまだ くにこ)
誕生 (1960-06-13) 1960年6月13日(63歳)
日本東京都板橋区
職業お笑いタレント女優司会者小説家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴川村短期大学家政科(現:生活学科)
活動期間1983年 -
ジャンル小説作詞随筆漫画
代表作『さよならだけどさよならじゃない』(1991年
『結婚式』(1992年
『マリッジ・ブルー』(2000年
デビュー作エッセイ
『センセーショナル邦子 ギャグダンス』(1983年
小説
『あっかんベーゼ』(1990年
ウィキポータル 文学
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YouTube
チャンネル

山田邦子 クニチャンネル

活動期間2020年 -
ジャンルエンターテイメント
登録者数8.76万人
総再生回数19,251,026回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-05-11-00002024年5月11日時点。
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山田 邦子(やまだ くにこ、1960年昭和35年〉6月13日 - )は、日本お笑いタレント漫談家女優司会者作詞家小説家アスリート・マーケティング所属。愛称は「邦ちゃん」。
来歴
芸能界デビュー

東京都荒川区東尾久[4]、兄・弟と両親による5人家族の長女として生まれる[2]。幼稚園に入る前に森下町の母の実家に家族で転居、祖父母が以前経営していたアパートを1つの大きな家に改造して家族、祖父母、母の兄妹という大所帯となって暮らし始めた[2]

川村中学校・高等学校在学中、在校生を相手にものまねを披露して学校中の人気者となる[5]。校内にファンクラブが作られ、一時は生徒たちのストーカー行為に悩まされたという[6]。一方、同級生と漫才コンビ「のりこ・くにこ」を結成し、両方がボケとツッコミを行う「Wボケ」スタイルの漫才にも勤しむ[7][8]。学校行事の度にネタを作って披露したほか、休日には井の頭公園の野外ステージに上がり、一般の観衆を相手に漫才やものまねを繰り広げた[9]

1979年川村短期大学に入学。相方と一緒に早稲田大学寄席演芸研究会に入部し、学生漫才師として活動しつつ、落語家を目指して「可愛家マッハ」の芸名を名乗る。当時は5代目三遊亭圓楽の熱烈なファンで、通っていた短大の真裏には5代目柳家小さんの邸宅があった。しかし落語家には向いていないと悟り、同芸名のまま漫談に才能を発揮していく。『TVジョッキー』(日本テレビ)や『クイズ・ドレミファドン!』(フジテレビ)、『ひるのプレゼント』(NHK総合)など数多くの素人参加番組に出演[10]


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