山田 哲人東京ヤクルトスワローズ #1
2016年9月3日 明治神宮野球場
基本情報
国籍 日本
出身地兵庫県豊岡市
生年月日 (1992-07-16) 1992年7月16日(31歳)
身長
体重181 cm
81 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手
プロ入り2010年 ドラフト1位
初出場2012年4月5日
年俸5億円+出来高(2024年)[1]
※2021年から7年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
履正社高等学校
東京ヤクルトスワローズ (2011 - )
国際大会
代表チーム 日本
五輪2021年
WBC2017年、2023年
プレミア122015年、2019年
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獲得メダル
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
金2023
WBSCプレミア12
銅2015
金2019
オリンピック
金2020野球
山田 哲人(やまだ てつと、1992年7月16日 - )は、兵庫県豊岡市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。
NPBにおける日本人右打者シーズン最多安打記録保持者であり(193安打 = 2014年)、史上初の本塁打王と盗塁王の同時獲得者(2015年)[2]、日本プロ野球史上、唯一のトリプルスリー複数回達成者(3回)である。そのため、「ミスター・トリプルスリー」という愛称がつけられている[3][4]。また、平成生まれのプロ野球選手として初の最多本塁打を獲得している。
第1回プレミア12 銅メダリスト。第2回プレミア12 金メダリスト。2021年開催の東京オリンピック野球 金メダリスト。第5回ワールド・ベースボール・クラシック 金メダリスト。 小さい頃から空手やサッカーをしており、華奢で物静かだったが運動神経は抜群だった[5]。 小学校2年時に宝塚リトルリーグの外野手として野球を始める。当時、穴田真規とチームメイトだった。御殿山中学校時代はヤングリーグ・兵庫伊丹に所属し主に内野手でプレー。当時を振り返って、「小学校、中学校の時はプロに行けるとは思っていなかった。」と語っている[6]。 履正社高等学校に進学と同時に家族で同校のある大阪府豊中市に引っ越す[7]。1年夏からベンチ入りし、2年夏は二塁手でレギュラーを務めた。2年秋から遊撃手のレギュラーとして活躍し、3年春は高い守備力と打率.435でチームを引っ張り、大阪大会優勝・近畿大会で準優勝する[8]。3年夏の第92回全国高等学校野球選手権大会では2回戦(初戦)の中村奨吾擁する天理高校戦で本盗を決め、履正社の夏初勝利に貢献した。聖光学院高校戦では歳内宏明から本塁打を打つも、チームは惜敗した。後に阪神タイガースに入団することになる井上広大は、その本塁打を見て履正社に行きたいと思ったという[9]。また、高校の1学年後輩に坂本誠志郎がいた。 2010年のプロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズとオリックス・バファローズから外れ外れ1巡目指名を受け[10]、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得した。11月25日に年俸720万円で仮契約を結んだ[11]。ヤクルトは1番行きたい球団だった[12]。 2011年はレギュラーシーズン中の公式戦出場は果たせなかったが一軍で遊撃手を守ってきた選手の怪我の多発やフェニックスリーグでの好調さが評価され[13]、中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズファイナルステージ第2戦に「1番・遊撃手」として先発出場[14]。4打数無安打に終わったが、CSで高卒新人野手の先発は山田が史上初であった[15]。第3戦には山井大介から四球を選び初出塁と青木宣親の適時打で初得点を記録した。第4戦では川井雄太から右翼線への二塁打で初安打、浅尾拓也から適時打を打ち初打点を記録し、2安打1打点を挙げた[16]。 2012年4月5日に代打でシーズン公式戦初出場、初打席、初安打を記録。8月10日の対読売ジャイアンツ戦で内海哲也から初本塁打を記録した。二軍では3割近い打率を記録した。 2013年は遊撃手としての守備難と田中浩康の打撃不振により、5月の一軍昇格後は二塁手固定での出場がほとんどだった。10月6日には広島東洋カープの前田健太からプロ初の満塁本塁打を記録している。終盤まで本塁打が出ず長打力はまだ発揮できていなかったが、選球眼を活かして出塁率.354を記録。9盗塁を記録するなど、高卒3年目にして一軍で一定の成績を残した。 2014年は杉村繁打撃コーチのマンツーマンの指導により打撃が大幅に向上した[17]。
経歴
プロ入り前
ヤクルト時代2013年9月29日、明治神宮野球場にて