山田和利
[Wikipedia|▼Menu]

山田 和利2018年3月13日・MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて
基本情報
国籍 日本
出身地愛知県名古屋市中村区
生年月日 (1965-06-03) 1965年6月3日(57歳)
身長
体重178 cm
82 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手外野手
プロ入り1983年 ドラフト4位
初出場1986年5月25日
最終出場1995年8月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


東邦高等学校

中日ドラゴンズ (1984 - 1990)

広島東洋カープ (1991 - 1995)

中日ドラゴンズ (1996)

コーチ歴


中日ドラゴンズ (1997 - 2004)

広島東洋カープ (2011, 2015 - 2021)

この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート
2015年5月5日 神戸第二サブ球場で撮影。

山田 和利(やまだ かずとし、1965年6月3日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロ野球選手内野手外野手)、コーチ
経歴

東邦高から、1983年プロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。

レギュラーには定着できなかったものの、1988年には立浪和義の控えではあるが、主に遊撃手として起用され82試合に出場した[1]。広島戦では津田恒実からプロ初のサヨナラ適時打を放った[2]

1991年長嶋清幸とのトレードで音重鎮と共に広島東洋カープに移籍。

1992年には、5月から三塁手一塁手として起用され、8月には故障欠場の正田耕三に代わり二塁手、二番打者に定着する。同年は82試合に先発出場を果たす。

その後は一時低迷するが、1995年には、開幕前に故障したルイス・メディーナに代わり一塁手の定位置を獲得。外野手も兼ねて活躍しチームの2位躍進に貢献するが、シーズン終盤には故障で離脱した。

1996年に中日で星野仙一が監督に復帰すると、若林隆信とのトレードで再び音重鎮とともに中日に復帰したが、故障によりその年限りで引退した。

1997年よりコーチに転身し、二軍打撃コーチに就任する。その後、1998年に一軍内野守備・走塁コーチ、1999年から2001年にかけては一軍打撃コーチ、2002年2003年は二軍内野守備・走塁コーチ、2004年は二軍野手総合チーフコーチを歴任した。

2005年からは中日のフロント入りとなった。

2011年は在籍経験のあった広島の二軍守備・走塁コーチを務めた[3]2012年からは広島のフロントに入り球団編成を担当していた。

2015年からは再び広島の二軍守備・走塁コーチを務めることになった。4年ぶりの現場復帰[4]。2021年まで務めた。
選手としての特徴・人物

中日時代は内野全ポジションを堅実に守り、さらに外野までこなすユーティリティープレイヤーとして活躍[1]。広島移籍後は持ち前の俊足・堅守に加え、小技と強打を兼ね備えた打者として変貌を遂げる活躍を見せた[1]

入団時の背番号は33であったが、30番を着けていた郭源治がリーグを代表する投手であった江川卓と同じ番号であることを拒んで交換することとなった[5]

夫人との間に一男一女がおり、長男は俳優の山田裕貴、長女はフリーランスモデルの山田麻生[6]。親子仲が良く、息子の裕貴が出演するテレビ番組はチェックしているという[7]
詳細情報
年度別打撃成績

















































O
P
S

1986中日1110000000000000000.000.000.000.000
19871222211500052100000140.238.273.238.511
1988821771532841542607108140901330.268.313.392.705
199029514038100931250610130.200.304.225.529
1991広島610101200021000000020.200.200.200.400
1992933352664475100810929622024215601.282.387.410.797
1994498770111420016710611010182.200.296.229.525
1995943433043182151121355325712605677.270.336.444.780
通算:8年36610268651192273352233610221175249331219710.262.341.388.729

記録
初記録


初出場:1986年5月25日、対
読売ジャイアンツ7回戦(ナゴヤ球場)、5回裏に鹿島忠の代打として出場

初先発出場:1987年10月6日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、8番・三塁手として先発出場

初安打:同上、4回表に猪俣隆から

初盗塁:同上、4回表に二盗(投手:猪俣隆、捕手:木戸克彦

初打点:1987年10月7日、対阪神タイガース25回戦(阪神甲子園球場)、2回表にマット・キーオから2点適時打

初本塁打:1988年6月18日、対読売ジャイアンツ12回戦(ナゴヤ球場)、7回裏に都裕次郎の代打として出場、桑田真澄からソロ

背番号

33(1984年 - 1985年)

30(1986年 - 1989年)

16(1990年)

25(1991年 - 1995年)

7(1996年)

95(1997年 - 2003年)

85(2004年)

81(2011年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:16 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef