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山田 卓也
名前
愛称タク、ヤマタク
カタカナヤマダ タクヤ
ラテン文字YAMADA Takuya
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1974-08-24) 1974年8月24日(44歳)
出身地東京都世田谷区
身長178cm[1]
体重80kg[1]
選手情報
ポジションDF / MF
利き足右足
ユース
桐蔭学園高校
駒澤大学
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1997-2005V川崎/東京V 235 (22)
2006セレッソ大阪 20 (0)
2007-2008横浜FC 50 (5)
2009サガン鳥栖 43 (1)
2010-2015タンパベイ 115 (4)
2015FC今治 2 (0)
2016奈良クラブ 13 (1)
2017FC今治
代表歴2
2003-2004 日本4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年8月23日現在。
2. 2004年8月18日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
山田 卓也(やまだ たくや、1974年8月24日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手。ポジションはDF(右サイドバック)、MF(ボランチ、右ウイングバック)。 東京ヴェルディ在籍時はチームキャプテンを務めた。また、2003年12月7日の東アジアサッカー選手権2003の香港代表戦で日本代表として初出場した[2]。 2005年に東京VのJ2降格が決定後も、山田は東京Vに残ることを前提に、他クラブからのオファーがあれば評価は聞いてみたいというスタンスであった事を本人ブログにて表明、結果的に2006年セレッソ大阪に移籍。 C大阪では、塚田雄二監督(当時)の信頼を獲得し、リーグ前半では主にボランチで視野の広さを生かしたゲーム・メイクを披露。だがチームは低迷し、山田自身の長期離脱もあり、結局J2に降格。シーズン終了後に退団。その後、オーストラリアのアデレード・ユナイテッドFCや、平野孝とメジャーリーグサッカー・ニューイングランド・レボリューションの練習に参加。 2007年6月、横浜FCへの入団が正式に決まった。トレードマークの長髪を刈り切ってのスタートであった。主に右サイドバックでスタメン起用されている。しかし、2007年に横浜FCも降格し、山田の所属したチームは3年連続で降格することになった。 2008年限りで横浜FCを退団し、2009年1月20日、サガン鳥栖への完全移籍が発表された。 鳥栖では、若手選手主体のチームにおいて、その豊富な経験や知識をチームに伝えるなど、リーグ戦を通して出場し、チームの顔としてクラブを牽引。ただ、山田をクラブに引っ張った岸野靖之の監督退任と共に、鳥栖を山田も去ることとなった。 2010年、アメリカのUSSF D2へ新規加入をするFCタンパベイのトライアウトに参加し、ボランチでのプレーぶりを監督のポール・ダルグリッシュ
目次
1 略歴
2 所属クラブ
3 個人成績
4 代表歴
4.1 出場大会など
4.2 試合数
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
略歴