山田五郎
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この項目では、評論家・編集者について記述しています。昭和期の舞踊家の同名の人物については「山田五郎 (ダンサー)」をご覧ください。

本名が「山田五郎」の漫画家の「山田ゴロ」とは別人です。
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出典検索?: "山田五郎" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年6月)

やまだ ごろう
山田 五郎
生誕武田 正彦(たけだ まさひこ)[1]
(1958-12-05) 1958年12月5日(65歳)[2]
日本東京都[3]渋谷区[4]
出身校上智大学文学部[3][5]新聞学科
職業評論家編集者[注 1]タレントコラムニストYouTuber
雇用者講談社(1981年 - 2004年)
フリーランス(2004年 - 現在)
公式サイト無し
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山田五郎・YouTubeチャンネル
YouTube
チャンネル

山田五郎オトナの教養講座

活動期間2021年1月8日[8] - 現在
ジャンル美術
登録者数約52.7万人
総再生回数7,638万4,844回
事務所(MCN)株式会社東阪企画[9]
挨拶評論家・編集者の山田五郎が、YouTubeをはじめました! 山田五郎の得意分野、美術、ファッション、時計、街、グルメなどについて、オトナの生活がちょっと潤う教養をお届けします。社会人になったばかりの20代から、老後の学び直しまで、全てのオトナに送る「オトナの教養講座」です![7]
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2021

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-10-15-00002023年10月15日時点。
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山田 五郎(やまだ ごろう、1958年昭和33年〉12月5日[2] - )は、日本評論家で、編集者[注 1]タレントコラムニストYouTuberでもある。

本名は 武田 正彦(たけだ まさひこ)[1]愛称として「教授」「五郎さん」がある。

東京国立博物館評議員[10][11]。イギリス古時計協会 (AHS) アカデミー会員[10][11]。ジュネーブ時計グランプリ財団 (GPHG) 元アカデミー会員[10][11]
来歴

静岡市出身[12]の両親のもと、東京都[3][5]渋谷区[4]で、第1子・長男[1]として生まれた。父親は旭化成株式会社勤務[5]サラリーマンである。海外勤務もあったという。父親の実家は木材商であった[13]。妹と弟がいる[1]

小学校は東京都の世田谷区立若林小学校に入学したが、低学年のころ、一家は父親の仕事の都合で兵庫県西宮市転居した。しかし西宮市での生活は短期間で終わり、小学校3年の時、一家で大阪府豊中市へ転居し、豊中市立原田小学校に転校した。中学校進学は地元の豊中市立第一中学校へ進学した[1]高校大阪府立北野高等学校(第89期生[1]1977年〈昭和52年〉3月卒業生)へ進学。高校時代は美術の才能が際立っていたと、同窓生仲間が振り返っている[1]クラブ活動文芸部や美術部に所属しており、懸賞小説に入選したりもしていた[1]。高額な奨学金を含む手厚い学業支援を受けていたが、これは、彼自身の学業成績が優秀であったのに加えて、当時の彼の一家は、母親がイギリス駐在中の父親の後を追って渡英したために、家には祖父母と子供3人が残され、妹と弟の食事を作るなどしていた[1]

大学受験では東京大学を目指したが失敗し[14]上智大学文学部[5]新聞学科に進学[14]1977年(昭和52年)4月、進学に伴い上京。指導教官(英語版)には何初彦がいた。もともと映画が好きで、映画の授業があったことが新聞学科を選ぶ動機だったが、1年生の時、バロック時代の美術に魅了され、美術史を勉強したいと思うようになる[14]。大学に美術史専門の学科がなく、ザルツブルク大学(英語版)への西洋美術史専攻での留学を勧められた[14]。このとき相談に乗ってもらった教授の一人に、客員教授として同大学で教鞭を執っていた、ロックバンドBARBEE BOYS」のメンバーいまみちともたかの父親(今道友信)がいる[14]。留学したのは3年生の9月から4年生の9月までの1年間であった[6][5]。ただ、蓋を開けてみれば、留学先での授業内容は日本で受けられるものとさほど変わらず、得るものは少なかった[14]。田舎すぎてやることも無く、退屈な日々であったという[14]

帰国後、大学院へ進んで留学し直すことを検討していたが、相談した先輩たちに強く引き留められて考え直し、就職活動に目標を切り替えた[6]。美術系の就職口を狙っていたが、不景気で軒並み採用が無った[6]講談社への就職が決まる。卒業論文は「戦後野球漫画の様式的発展」であった。

1981年(昭和56年)4月、同社入社[5]内田勝が同社での最初の上司であった。講談社ほどの大手であれば素晴らしい美術書を作らせてもらえるのではないかと期待しての入社であったが、配属されたのは美術とは縁もゆかりも無い情報雑誌編集部であった[6]ファッションに特別興味が無かったが、最初は若者ファッションの情報雑誌『ホットドッグ・プレス』の編集を担当することになった[6]。そこで、好きでもない者が記事を作ってはいけないと考え、ファッション好きの自分を改めて造っていった[6]。その後、『ソフィア』『チェックメイト』『TOKYO1週間』などといった情報雑誌を担当していった。『ホットドッグ―』では編集長を務めている。いとうせいこうは講談社での後輩であり、数年間は共に『ホットドッグ―』の編集部員であった。

テレビ出演のきっかけは、1991年(平成3年)[15]、『タモリ倶楽部』のコーナー「今週の五つ星り」に出演していた赤井英和降板することになり、同番組の構成作家で知り合いの高橋洋二から代役としての出演を急遽依頼されたことにある[注 2]。当時の肩書は「お尻評論家」であった[15]。同番組は音楽に合わせて女性が入れ替わり立ち替わり画面の前でお尻を振りまくるのが定番オープニングであり、そのお尻タレントのオーディション審査員としての、お尻評論家というわけである[注 3]。このゲスト出演を皮切りに、バラエティ番組に多数出演するようになっていった。2004年(平成16年)6月に講談社を退社して独立する[5]。当時45歳。その後は、フリーランスの編集者、評論家タレントコラムニストとして活動するようになった。

2011年(平成23年)9月8日、TBSラジオの情報バラエティ番組荒川強啓 デイ・キャッチ!』の出演を取材名目で休む[17]。翌週15日に復帰し、前週休んだ理由が初期の食道癌の治療(手術)であったことを明かした[17]。当時52歳。

2021年(令和3年)1月7日、山田は62歳にしてYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』と、これに対応したTwitterアカウント『【公式】山田五郎 オトナの教養講座』[18]を開設し、明くる1月8日付で、YouTubeチャンネルにて美術を主なテーマとした動画配信を開始する[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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