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出典検索?: "山片蟠桃賞"
山片蟠桃賞 (やまがたばんとうしょう、英: Yamagata Banto Prize)は、1982年(昭和57年)に大阪府が創設した日本文化に関する賞である。 岸昌知事(当時)の発案で、「大阪府が主催する国際的な賞」を創設することになった。当初は日本文学に関する賞で名前も『井原西鶴賞』とされていたが、創設委員の一人司馬遼太郎による「京都府が『紫式部賞』を作れば負ける」との発言により[注釈 1]、賞の趣旨の変更を迫られた。結局、司馬の提唱で「日本文化の国際的通用性を研究した国外の学術者に授与する賞」とされ、名前も「山片蟠桃賞」とされた。第1回はドナルド・キーンが受賞。その後も国外の日本学の研究者が受賞した。 司馬が1996年に死去した後、中西進らが中心に選考委員を務めるものの、次第に賞の取り扱いも低くなっていき、受賞者の候補の選考もままならなくなった。選考委員の一人藤本義一は「司馬さんのための賞だったしこの賞を通じて『司馬サロン』が形成されていった」といい、司馬亡き後の賞の先行きを危惧した。その後、日本学にとらわれず、幅広い分野から受賞者を選ぶべきだといわれ、岐路に立たされている。
概要
受賞者
第1回(1982)ドナルド・キーン(米:受賞時)
第2回(1983)ジョイス・アクロイド(豪)
第3回(1984)フリッツ・フォス
第4回(1985)金思Y(韓国)
第5回(1986)ヴラジスラフ・ゴレグリヤード(ロシア語版)(ソ連)
第6回(1987)アール・マイナー(米)
第7回(1988)ジャクリーヌ・ピジョー(フランス語版)(仏)
第8回(1989)テツオ・ナジタ(米)
第9回(1990)サー・ヒュー・コータッツィ(英)
第10回(1991)エドワード・サイデンステッカー(米)
第11回(1992)マリウス・ジャンセン(米)
第12回(1993)フランシーヌ・エライユ(仏)
第13回(1994)ケネス・ガードナー(英)
第14回(1995)ヨーゼフ・クライナー(独)
第15回(1996)周一良(中国)
第16回(1997)オギュスタン・ベルク(仏)
第17回(1998)ヴィエスワフ・コタンスキ(ポーランド語版)(ポーランド)
第18回(1999)バーバラ・ルーシュ(米)
第19回(2000)ジョン・ローゼンフィルド(米)
第20回(2001)ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(米)
第21回(2004)セップ・リンハルト(ドイツ語版)(オーストリア)
第22回(2007)エドウィン・A・クランストン(英語版)(米)