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やませ まみ
山瀬 まみ
生年月日 (1969-10-02) 1969年10月2日(54歳)
出身地 日本 神奈川県平塚市
身長167 cm
血液型O型
職業タレント・歌手・ アイドル・司会者
ジャンルアイドル歌謡曲・テレビドラマ・映画・バラエティ
活動期間1986年3月1日 -
活動内容1986年3月21日:歌手デビュー
配偶者中上雅巳(1999年 - )
事務所ホリプロ
公式サイト公式プロフィール
主な作品
バラエティー番組など
『ためしてガッテン』
『新婚さんいらっしゃい!』
『世界ウルルン滞在記』
『天才!志村どうぶつ園』CM
金鳥
備考
第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン グランプリ
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山瀬 まみ(やませ まみ、1969年〈昭和44年〉10月2日 - )は、日本の歌手、タレント、司会者[1]。身長167cm、血液型はO型。ホリプロ所属。夫は俳優の中上雅巳。第10回ホリプロタレントスカウトキャラバングランプリを受賞して歌手デビューを果たし、アイドルとして活動。タレントに転身後はバラエティーアイドルとしてバラエティ番組で活躍し、『新婚さんいらっしゃい!』などでMCを務めた[2]。90年代には女優としても活動し、多数のドラマや映画に出演した。 1969年10月2日、埼玉県浦和市で生誕。長女で、4歳下の弟がいる。父が転勤族だったため、幼児期を東京都文京区大塚、埼玉県浦和市、東京都豊島区駒込、江東区亀戸、小学生時代を福島県いわき市、埼玉県上尾市、中学生時代を長野県松本市、秋田県秋田市(城南中)でそれぞれ過ごす[3]。1984年11月、15歳の時に神奈川県平塚市菫平に転居して以後は父の転勤生活も終わり、現在も実家が平塚市にある。そのため、出身地は平塚市とされる。神奈川県立神田高等学校(現・神奈川県立平塚湘風高等学校)を経て堀越高等学校卒業。書道は小学5年生の時点で二段の腕前だった。 幼少期からアイドルを志し、中学生の頃には既に頻繁に路上(原宿など)でスカウトマンから声を掛けられるようになり、それをことごとく断ることで有名な少女だった。これは山瀬本人が「どうせ芸能界入りするなら、信頼できる大手事務所と契約する方が良い」と考えていたためである。1983年、中学1年生の時にホリプロタレントスカウトキャラバンに応募したが書類選考で落選。1985年、2度目の応募で『第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン』に出場し、優勝した。この時の最終審査には中村由真、我妻佳代、清水香織らがいた。 翌1986年3月に松任谷由実作曲(クレジットは呉田軽穂名義)のシングル『メロンのためいき』でアイドル歌手デビュー。オリコン初登場24位を記録した[4]。当初のキャッチコピーは「国民のおもちゃ新発売」だった。デビュー前の特技はクラシックバレエで、タレントスカウトキャラバンで用いられたイメージVTRではバレエを踊る映像がある。 同年、アニメ映画『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』にてピーチ姫の声優を担当。テレビアニメ『ホワッツマイケル』(1988年)では主題歌の歌唱を担当し、声優としても出演している。 アイドルとしては大成しなかったが歌唱力に定評があり、当時マネジャーだった岡孝二郎(現:ホリプロ役員)は所属レコード会社の担当者と、正統派アイドルとしては成功しなかったが、アーティストしてはまだ可能性があるのではないかとの話になり、「山瀬まみロック化計画」としてロック歌手とコラボレーションして、オリジナルアルバム『親指姫』を発売し、ヒットする[5]。山瀬本人は後年になって「アイドルとしては背が高すぎた」と自ら評している[6]。 歌声とのギャップが激しいハスキーな舌足らず口調、明るく恥じらいの無い性格でトークが面白いことから徐々にテレビ番組への出演が増えていき、1986年10月よりレギュラー出演した『テレビ探偵団』(TBS)をきっかけにバラエティ番組で活躍。1989年には『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)のレギュラーに加入する[7] など、のちに井森美幸、森口博子、松本明子らともに「バラドル」と称されるようになった。
来歴
生い立ち
アイドル歌手デビュー
タレント・司会者として
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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