山椒魚_(小説)
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山椒魚
作者
井伏鱒二
日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『文芸都市』1929年5月号
刊本情報
収録『夜ふけと梅の花』
出版元新潮社
出版年月日1930年4月
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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「山椒魚」(さんしょううお)は、井伏鱒二の短編小説。成長しすぎて自分の棲家である岩屋から出られなくなってしまった山椒魚の悲嘆をユーモラスに描いた作品で、井伏の代表的な短編作品である。井伏の学生時代の習作「幽閉」(1923年)を改稿したもので、1929年、同人雑誌『文芸都市』5月号に初出、その後作品集『夜ふけと梅の花』に収録され、以降たびたび井伏の著作集の巻頭を飾り、国語教科書にも採用され広く親しまれている作品であったが、自選全集に収録する際に井伏自身によって結末部分が大幅に削除されたことで議論も呼んだ。
あらすじ

本節では、井伏自身による削除前の内容を示し、削除による異同は以降の節で解説する。

谷川の岩屋をねぐらにしていた山椒魚は、あるとき自分が岩屋の外に出られなくなっていることに気がつく。二年の間岩屋で過ごしているうちに体が大きくなり、頭が出入り口に「コロップの栓」のようにつかえるようになってしまったのである。ろくに動き回ることもできない狭い岩屋のなかで山椒魚は虚勢を張るが、外に出て行くための方途は何もない。彼は出入り口から外の谷川を眺め、目高の群れが先頭の動きにあわせてよろめいているのを見て嘲笑し、渦に巻き込まれて沈んでいく白い花弁をみて「目がくらみそうだ」とつぶやく。

ある夜、岩屋のなかに小蝦がまぎれこみ、山椒魚の横っ腹にしがみつく。山椒魚を岩石と勘違いして卵をうみつけているらしい。しきりに物思いにふけっているらしい小蝦の様子をみて山椒魚は、屈託したり物思いに耽ったりするやつは莫迦だと言う。しかし山椒魚がふたたび出入り口に突進し、栓のようにはまり込んだりといった騒ぎをはじめると、はじめは狼狽していた小蝦も失笑する。

その後、山椒魚は外へ出ることを再度試みるが徒労に終わり、涙を流して神にむかって窮状を訴える。彼は岩屋の外で自由に動き回っている水すましの姿を感動の目で眺めるが、そうしたものからはむしろ目をそむけたほうがよいと考え目蓋を閉じる。彼は自分が唯一自由にできる目蓋のなかの暗闇に没頭し、寒いほど独りぽっちだ、と言ってすすり泣く。

悲嘆にくれるあまり「悪党」となった山椒魚は、ある日、岩屋に飛び込んできた蛙を閉じ込め、外に出られないようにした。蛙は安全な窪みのなかに逃げ込んで虚勢を張り、2匹の生物は激しい口論を始める。二匹のどちらも外に出られず、互いに反目しあったまま1年が過ぎ、2年が過ぎた。蛙は岩屋内の杉苔花粉を散らす光景を見て思わず深い嘆息を漏らし、それを聞きとめた山椒魚はもう降りてきてもいいと呼びかける。しかし蛙は空腹で動けず、もう死ぬばかりになっていた。お前は今何を考えているようなのだろうか、と聞く山椒魚に対して蛙は、今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ、と答える。
作品史
「幽閉」の成立山椒魚は悲んだ〔ママ〕。
?たうたう出られなくなつてしまつた。斯うなりはしまいかと思つて、僕は前から心配してゐたのだが、冷い冬を過して、春を迎へてみればこの態だ! だが何時かは、出られる時が来るかもしれないだらう。・・・「幽閉」書き出し[1][2][注釈 1]

「山椒魚」は井伏鱒二が最初に発表した作品[3][注釈 2]であるとともに、その作家生活のほとんどの期間にあたる60年あまりの間、井伏によって改筆が続けられた作品である[注釈 3]。「山椒魚」が最初に着手されたのは1919年大正8年)、井伏が早稲田大学文学部に在籍していた時であった。当時21歳の井伏はこの年の夏休み、郷里で「やんま」「ありじごく」「幽閉」「蟇」といった動物を主人公にした短編を数篇[注釈 4]習作として書き上げ、級友の青木南八に送った[注釈 5]。このうちの「幽閉」が「山椒魚」の初稿にあたるものである[注釈 6]。これらの動物を扱った短編のうち、あとまで残ったのは「幽閉(山椒魚)」と「たま虫を見る」(『文学界』1926年1月号掲載)の二篇のみで、残りは散逸している[9]。また「幽閉」も初稿そのものは残っておらず、のち雑誌に発表するにあたってどのように手が加えられたのか(あるいは加えなかったのか)は分からない[10]。なお、動物の短編ばかり書いたのは、当時流行していたシンボリズムの影響であったらしい[注釈 7]

井伏は早稲田大学を退学した後の1923年7月、早稲田大学仏文科の同人雑誌『世紀』に参加し、同誌に「幽閉」を掲載した。このときまだ青森中学校の1年生だった太宰治は、兄が東京から持ってきた多数の同人雑誌を読んでこの「幽閉」に注目し「天才を發見したと思つて興奮した」という思い出をのちに記している[12][注釈 8]。しかし「幽閉」は世間的な評判を得ることはなく[13]、『読売新聞』の文芸欄では「古臭い」という趣旨の批評が1行半程度書かれただけであった[14]
「山椒魚」の発表と受容山椒魚は悲しんだ。
彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかへて外に出ることができなかつたのである。今は最早、彼にとつては永遠の棲家である岩屋は、出入口のところがそんなに狭かつた。そして、ほの暗かつた。・・・「山椒魚」書き出し
[15]

それから6年後の1929年(昭和4年)5月、すでに新進作家として活動していた井伏は「幽閉」を全面改稿し、同人雑誌『文芸都市』に「山椒魚 ?童話?」として掲載した。「幽閉」とこの「山椒魚」は、山椒魚が岩屋に閉じ込められて出られなくなるという、基本的なプロットや道具立てはほぼ共通しており、長さとしてもさほどの違いはないが、後に見るように文体が大きく変えられており、冒頭の一文以外ほとんど共通する文章はない[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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