山本順之
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やまもと のぶゆき
山本 順之
本名山本 順之
生年月日 (1938-07-19)
1938年7月19日(85歳)
出生地大阪府大阪市
国籍 日本
職業能楽師
ジャンル舞台
活動期間1942年昭和17年) - 現在
活動内容1942年:初舞台
1976年芸術選奨文部大臣新人賞
著名な家族:山本博之
山本勝一
兄:山本眞義
山本章弘(眞義の息子)[1][2]
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山本 順之(やまもと のぶゆき、YAMAMOTO Nobuyuki 1938年昭和13年)7月19日[3] - )は、観世流能楽師シテ方)。重要無形文化財保持者(総合認定)。公益社団法人「銕仙会」理事。能楽協会会員。「山本順之の会」「順扇会」主宰[4]
略歴

大阪府大阪市生まれ、東京都在住。大阪府立清水谷高等学校卒業。早稲田大学文学部卒業[5]。父である山本博之(観世流能楽師、山本能楽堂創立者)および八世観世銕之亟人間国宝)に師事。1942年昭和17年)4歳の時、仕舞老松」で初舞台。1945年「花月」で初シテ。
人物

曲趣を正確に捉え観客の想像力に訴えかける、幅の広い地謡作りの「地頭(リーダー)」として定評があり、銕仙会の地謡を支える重鎮[6]だが、若手や斬新な作品にも数多く出演している。

2000年平成12年)3月、国立能楽堂の特別企画公演「夢浮橋」で地謡を披露。尼僧小説家瀬戸内寂聴が初めて台本を執筆した新作能で、源氏物語五十四帖の最終巻と同じ題名だが寂聴によるフィクションで、宇治十帖の若い僧阿闍梨人間国宝梅若六郎が演じ「生まれて初めて女(浮舟)の黒髪に触れ、煩悩に迷い破戒する」設定で、金剛永謹匂宮を演じた[7]

2002年11月には横浜能楽堂の企画公演「秀吉が見た『卒都婆小町』」に出演。1593年文禄2年)に能好きで知られた武家関白豊臣秀吉が鑑賞した「卒都婆」を現代に蘇らせるユニークな試みで、学術的に綿密に考証し、400年前の安土桃山時代の能を復元した。当時の上演時間は現在の約60%(50分間)で、謡も関西弁で「リズムや上中下の3つの基本的な音は同じ」だが「経過音が違うのでメロディック」(東京文化財研究所)。公演で小町を舞った山本順之は「今の能とまったく違う。身についた技術から離れるのは大変」とした上で、「(現代の卒都婆は)いたずらに重くなっている面があるので、今の能が見直されるかもしれない」と意欲を話した[8]

そのほか国立能楽堂での公演は、日本芸術文化振興会の文化デジタルライブラリーに登録されている(140件)[9]

また、外国公演では1969年昭和44年)梅若万三郎ヨーロッパを巡演。1972年から観世寿夫と「世阿弥座」公演(?1993年)。1976年の世阿弥座ではパリ市フランス俳優ジャン=ルイ・バロー主宰「オルセー劇場」(オルセー駅舎を利用した劇場)で披露している[10][11]

能のほかには、2002年岡本章演出「現代能『ベルナルダ・アルバの家』」(テアトルフォンテ、横浜能楽堂)や、2010年女優関弘子追悼公演「俳優(わざおぎ)の始原(ふるさと)へ」(銕仙会能楽研究所)などに出演。早稲田大学では、文学部の先輩で人間国宝二世 野村万作との共演も多い。また、OBとして「早稲田大学観世会」を指導し、清水寛二ら後継者も育成している。
受賞、山本能楽堂など

1976年昭和51年)に芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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