山本義隆
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山本 義隆
(やまもと よしたか)
生誕 (1941-12-12) 1941年12月12日(79歳)
大阪府
国籍 日本
研究分野物理学科学史科学哲学
出身校東京大学大学院博士課程中退
主な業績『磁力と重力の発見』(2003年)
主な受賞歴第1回パピルス賞
第57回毎日出版文化賞
第30回大佛次郎賞
補足
駿台予備学校物理科講師
プロジェクト:人物伝
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山本 義隆(やまもと よしたか、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本科学史家自然哲学者教育者、元学生運動家。駿台予備学校物理科講師。元・東大闘争全学共闘会議代表。妻は装幀家の山本美智代。東京大学大学院博士課程中退[1]目次

1 来歴・人物

2 著作

2.1 評論

2.2 科学史関係

2.3 大学受験参考書

2.4 編訳書

2.5 論文


3 脚注

4 関連文献

5 関連項目

6 外部リンク

来歴・人物

大阪府出身[1]大阪市立船場中学校大阪府立大手前高等学校卒業。

1960年(昭35)東京大学理科一類入学、1964年 (昭和39年) 東京大学理学部物理学科卒業[1]

その後、同大学院で素粒子論を専攻、京都大学基礎物理学研究所に国内留学する[1]湯川秀樹の研究室に通う、将来を渇望された研究者であったが、学生運動に没入した[2]。学生運動の後は大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。

1960年代、東大ベトナム反戦会議の活動に携わり、東大全共闘議長を務める。1969年 (昭和44年) の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。なお、全共闘に関するマスコミ取材は一切受けていない。

全共闘運動については「68・69を記録する会」として一次資料収集活動をしている。その活動の中で、運動当時のビラ、立て看板などを集め、成果として『東大闘争資料集』全23巻を国会図書館におさめた。また、写真家渡辺眸の写真集『東大全共闘1968‐1969』(2007年) には手稿を寄せた。2015年に、全共闘当時についての記述を含む著書『私の1960年代』を刊行している。

東大闘争後は在野の研究者として研究を続ける。東京拘置所から出所した後、1979年エルンスト・カッシーラーの『実体概念と関数概念』を翻訳し評価を受けた。カッシーラーの著作の翻訳にはその後も長く関わることになり、『認識問題』の翻訳も手がけて1996年みすず書房が公刊した。

さらに、物理学を中心とした科学史の分野での著作も知られている。力学の発展を綿密に追いかけた著作群としては、1981年の『重力と力学的世界 古典としての古典力学』、雑誌「数学セミナー」の記事から発展した『古典力学の形成 ニュートンからラグランジュへ』(1997年) 、そして『磁力と重力の発見』(2003年) がある。特に、遠隔作用概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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