山本緑
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1957年生まれの女優「山本みどり」とは別人です。

やまもと みどり
山本緑
本名小林 緑
生年月日 (1928-06-01) 1928年6月1日(95歳)
出生地 日本東京府
身長157cm[1]
職業元女優
配偶者田川勝雄(1960年 - )[2]
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山本 緑(やまもと みどり、1928年6月1日[1][3] - )は、日本の元女優。本名は小林 緑[1]

東京府出身[1]東映東京撮影所に所属していた[1]。東京演技アカデミー出身[1]。特技は、ピアノ[1]
略歴

東京府荏原郡目黒町で、電気商の次女として生まれる[2]。1945年に目黒女子商業学校を卒業後、空襲で家が無くなった為、山形県に疎開し天童温泉のホテルで母親ともに過ごす[2]山形新聞で働き、疎開先のホテルの息子と婚約するが、回りからの圧力で破談となる[2]。それを機に姉を頼って終戦直後の東京に戻る[2]

山形時代の上司の影響で、鎌倉の建長寺に入り三か月間修行を受ける[2]。1949年4月、津田英語塾に入り、通訳の仕事を目指していたが、塾で翻訳劇をやったことがきっかけとなり、演技に興味を抱く[2]。姉の友人に映画の世界へ誘われ、1952年に東映東京撮影所に登録演技者として所属[2]。デビュー作は『ひめゆりの塔』の従軍看護婦役[2]

夫は元俳優の田川勝雄[4][2]。出演映画のロケ先で出会い、1960年11月17日に川崎駅交通会館にて挙式[2]。仲人は東京東映撮影所所長の山崎真一郎[2]
出演
映画

ひめゆりの塔(1953年)

継母(1954年)

母水仙(1955年)

サラリーマン 目白三平(1955年)

狸小路の花嫁(1956年)

母孔雀(1956年)

忍術快男児(1956年)

殺人者を逃すな(1957年)

警視庁物語 上野発五時三五分(1957年)

さよなら港(1957年)

こけし子守唄 夕やけ鴉(1957年)

船頭姉妹(1957年)

少年探偵団 かぶと虫の妖奇(1957年)

純愛物語(1957年)

爆音と大地(1957年)

不良女学生(1957年)

(1957年)

警視庁物語 夜の野獣(1957年)

逢いたいなァあの人に(1957年)

母つばめ(1958年)

多羅尾伴内 十三の魔王(1958年)

娘十八御意見無用(1958年)

月光仮面 魔人の爪(1958年)

森と湖のまつり(1958年)

デン助の陽気な拳闘王(1958年)

恋愛自由型(1958年)

警視庁物語 七人の追跡者(1958年)

季節風の彼方に(1958年)

デン助の陽気な靴みがき(1958年)

おこんの初恋 花嫁七変化(1958年)

曲馬団の娘(1958年)

点と線(1958年)

拳銃を磨く男 あの女を探せ(1959年)

リスとアメリカ人 廃虚の銃声(1959年)

警視庁物語 顔のない女(1959年)

鹿島灘の女(1959年)

べらんめえ探偵娘(1959年)

母しぐれ(1959年)

べらんめえ芸者(1959年)

名犬物語 断崖の少年(1959年)

母子草(1959年)

疑惑の夜(1959年)

埠頭の縄張り(1959年)

浪曲権三と助十 呪いの置手紙(1960年)

続・べらんめえ芸者(1960年)

白い崖(1960年)

決斗の谷(1960年)

拳銃を磨く男 深夜の死角(1960年)

生き抜いた十六年 最後の日本兵(1960年)

天下の快男児 万年太郎(1960年)

風流深川唄(1960年)

白い粉の恐怖(1960年)

嵐の中の若者たち(1960年)

天下の快男児 突進太郎(1960年)

少年漂流記(1960年)

ボス表へ出ろ(1960年)

風の野郎と二人づれ(1961年)

はだかっ子(1961年)

故郷は緑なりき(1961年)

わが生涯は火の如く(1961年)

坊ちゃん野郎勢ぞろい(1961年)

がんこ親父と江戸っ子社員(1962年)

警視庁物語 十九号埋立地(1962年)

やくざの歌(1963年) - 飲み屋のおかみさん


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