山本真吾
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我龍 真吾基本情報
本名山本 真吾(やまもと しんご)
通称喧嘩師
階級
ミドル級
身長178cm
体重75kg
国籍 日本
誕生日 (1975-06-23) 1975年6月23日(48歳)
出身地東京都八王子市
スタイルキックボクシング
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我龍 真吾(がりゅう しんご、1975年6月23日 - )は、日本男性プロレスラー、元キックボクサー。別名“喧嘩師”。5階級制覇という偉業を成し遂げている。元M-1ミドル級王者。現・WMF世界ライトヘビー級王者・UKF世界ライトミドル級王者。東京都八王子市出身。本名は山本真吾、当初のリングネームは鷹山 真吾(たかやま しんご)。ジム「ファイティングマスター」(東京都・高尾駅)のオーナー兼会長を務めていたが2012年にジムは廃業した。
人物

過去に王者まで上り詰めるも、アクシデントで永久追放され、長期間流浪した経験を持つ。

試合開始前のリング上でのルール説明時に、独特のポーズでメンチ切りを行うのが恒例となっている。

我龍の持ち味に、「我龍タイム」と呼ばれるものがある。これは最終ラウンド残り1分を切ると、ノーガードで相手と殴りあうというものである。

過去のプロフィールに『職業:チンピラ、趣味:カツ上げ、苛め』などと人を食った文章を書いたことが示すように一時期はかなりヤンチャであった。

大麻所持で逮捕された2009年5月26日付けの日刊スポーツの記事によると、暴走族所属などのプロフィールは作られたキャラで、本当はむしろ、ヤクザや暴走族を忌み嫌っていた(それくらい正義感が強かったので大麻所持が信じられない)という関係者の談話が紹介されている。

来歴

中学・高校の同期生に

プロ総合格闘家、石井淳(超人クラブ)

プロ総合格闘家、コウジ・ギャトヴィチアン(超人クラブ)

スカ・ハードコアバンド「Step by Step」のリーダー

がいる。交友関係にヘヴィー・ミクスチャー・バンド「ドアマット」がいる。

地元・八王子で暴走族に所属し、軽い気持ちで地元のキックボクシングジム「尚武会」(新日本キックボクシング協会)に入門する。ケンカでは自信があったが、ジムで練習していた女子選手とスパーをしても到底かなわない。一念発起し、生活をキック中心に変える。鷹山真吾という名でデビュー。一気に注目を浴びる人気選手となり、日本ライト級王者まで上り詰める。入場テーマは「つっぱりハイスクールロックンロール」、金髪に髭という分かりやすい不良キャラクターを演じた。

尚武会での練習とは別に、親友の石井が主宰する「超人クラブ」において打撃・寝技問わない合同練習を続けた。

テレビで私生活の取材が入り、その意外なキャラクター(見た目は怖いが、実は好人物)に好感が持たれ、さらに人気が上がる。しかし、他の人気選手とのタイトル戦を、あおりにあおった末に、真吾側の個人的事情でドタキャン。激怒した協会(伊原会長)により追放された。発端が真吾の責にあることから、他の協会からも敬遠され、キックボクサーとしてあがれるリングがなくなってしまう。

新日本キックボクシング協会ライト級王者だったが、2000年1月石井宏樹にKO負けし王座陥落。

2003年初頭には練習もやめ、格闘技界から離れた。

2003年7月9日、『DEMOLITION atom』のメインイベント(総合格闘技ルール)で似田貝旭と対戦し、判定負け。興行の1週間前のオファーであったといい、Team ROKEN(今成正和のサークル)において練習を行った。

2004年12月5日、リングネームを我龍 真吾に改名し、全日本キックボクシング連盟に参戦。清水貴彦と対戦し、再延長Rまで突入する接戦となったが、判定負け。

2005年5月、SHINにKO勝ち。

2005年6月19日、R.I.S.E.龍二と対戦。3R終盤には足を止めて打ち合いを見せるも、大差で判定負け。

2005年8月、DAVIDに判定ドロー、我龍のファンが怒りを露わにし判定に抗議。

2005年10月12日、K-1 WORLD MAXデビュー戦でサミール・ベルバーチにKO勝ち。

2006年2月4日、K-1 WORLD MAX 2006 ?日本代表トーナメント?では、レミギウス・モリカビュチスに8秒でKO負け。

2006年2月25日、K-1 FIGHTING NETWORK KHAN 2006 in BUSANに小次郎の代役として緊急出場。試合をやや優勢に進めるものの、ムン・ジョンウンに延長判定の末、1回戦で敗退した。

2006年5月17日、J-NETWORK「GO! GO! J-NET '06 ?Invading the DRAGON?」で「喧嘩×テコンドー」として、尾崎圭司とエキシビションマッチを行った。我龍は特攻服、尾崎はテコンドーの道着を着用しての対戦となった[1]

2006年7月1日、東京都八王子市高尾町(高尾駅)に自身のジム「ファイティングマスター」を開設[2]

2006年7月25日、J-NETWORKミドル級タイトルマッチで王者寒川直喜と対戦。我龍が左眉、寒川が頭部から出血し、4R途中で両者ドクターストップによる負傷判定負けとなったが、我龍サイドのファンが怒りを抑えきれずあわや乱闘かという状況で「僕の負けです。すみません。」と場を収めた[3][4]

2007年3月4日、初代M-1ミドル級王座決定戦で白虎と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。

2007年6月、白須康仁に判定負け。

2007年9月24日、M-1ミドル級タイトルマッチで城戸康裕と対戦し、3-0の判定勝ちで初防衛に成功した。

2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008のスーパーファイトでアルトゥール・キシェンコと対戦し、左フックで3度ダウンを奪われKO負け。

2008年7月20日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟興行、WMAF世界ミドル級王座決定戦で山ア通明と対戦し、4RKO勝ちで同王座を獲得した。

2008年12月28日、渋谷杉浦グループ主催『KRUNCH第弐戦』(渋谷CLUB atom)にて、「CLUB EDO」&我龍のジム「ファイティングマスター」連合軍が、杉浦グループと5対5の対抗戦。我龍は連合軍の長であったが自身では試合をしていない。

2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009で広告代理店電通社員の大渡博之と対戦。「エリート対不良」という分かりやすい構図で話題となった。最終ラウンド終了間際に、我龍が大渡に恒例の打ち合い(我龍タイム)を求めた。大渡は両手を合わせそれを受けると見せると同時に、我龍に対し拳でなく、渾身の上段前蹴りを放った。大渡は試合後の記者会見で「サラリーマンの汚さを見せたかったんです」と語った。

2009年3月20日、K-1 MAX KOREA 2009 IN SEOULで元WBC世界フェザー級王者チ・インジンと対戦し、判定勝ちを収めた。

2009年5月23日、渋谷区本町の路上に停めた乗用車の車内で大麻約2グラムを所持し、大麻取締法違反(所持)の現行犯で警視庁代々木署に逮捕された[5][6]。しかし、初犯であることや反省の意を示していることなどから不起訴処分となり釈放された[7]。保持していたM-1ミドル級王座は5月27日付けで返上[8]。WMAF世界王座も6月15日付けで返上[9]

2009年8月2日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟興行にて、リング上からファンに土下座して謝罪[10]

2009年8月15日、復帰戦となった「宇都宮蹴拳伝 vol.3」のメインイベントで昇平にKO勝ちし、WMF世界ライトヘビー級王者となり、5階級制覇を達成した。

2009年9月6日、ACCEL DREAM NIGHT vol.12のメインイベントでTOMOYUKIと対戦し、延長ラウンドまで戦い0-1の判定ドロー。

2010年3月、キックボクシングイベント「KICK the ROOTS」をMasaru、紅闘志也、庵谷"出美流漫"鷹志と共に旗揚げすることを発表[11]。4月17日、ファイティングマスター主催で旗揚げ興行を開催した[12]

2010年6月6日、M-1ミドル級王者悠生に挑戦し、3-0の判定勝ちで王座に返り咲いた。

2010年12月1日、Fujiwara Festival ?藤原祭り2010?で行なわれたWPMF日本ミドル級王者決定戦で小又大貴と対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得ならず。試合後のリング上で2011年での現役引退を表明した[13]

2011年7月30日、「我龍真吾引退記念興行 ?生きざま way of life?」のM-1ミドル級タイトルマッチで自身の愛弟子である銀次郎を指名しての対戦。最終R残り1分からなる我龍タイムが4Rから始まり5Rも続行したまま終了までノーガードで打ち合い、0-3の判定負けを喫しタイトルの初防衛には失敗。試合後のマイクパフォーマンスで指導者としての道を歩む事を発表し、この試合で現役引退した。

2012年初頭頃、ファイティングマスターが入居していたビルから退去、理由・移転先・その後の活動等は一切不明。退去後のテナントには数か月後に卓球教室が入居した。

2012年10月16日、離婚した元妻に暴力団の名前を出し「家族をめちゃくちゃにする」などと脅した疑いで警視庁高尾署に逮捕された(暴力行為等処罰法違反容疑)[14]


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